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【芸術とは何か】「芸術家の自己表現ではない!」腑に落ちる名言を簡単にご紹介【青山昌文先生】

「芸術」って難しいですよね。
わかるような、わからないような。

でもこの言葉に出会ってから、

芸術音痴の私でも、
以前よりはずっと芸術を楽しみ、
深く感動できるようになりました。

 

自分が思いこまされている、芸術とは芸術家の自己表現であるなどという近代主観主義の硬いカラを打ち破ることです。

引用元:芸術は世界の力である/青山昌文先生

 

ええ!
芸術は、
芸術家の自己表現ではない⁉

という驚き。

 

美学がご専門の
青山昌文先生の言葉に出会って、
私は、目からウロコ。

 

この記事では
ご著書のエッセンスをお伝えします。

私の驚きと感動を
皆様にもお伝えできたら嬉しいです。

目次はクリックしてご覧下さい。

芸術に対する素朴な疑問

芸術とは何か、
私はずっとこのように思っていました。

芸術とは、
芸術家の情熱のほとばしり
作家の主張
アーティストの自己表現

 

皆さまはいかがでしょうか。

ですから
「芸術作品」といわれるものに触れると
ときどきこんな疑問を感じていました。

 

疑問「どこがいいのかわからない」


まあ、話題になってるんだから、いいとしておこう。

疑問「なぜ私はこの作品にひかれるのだろう」


無名の芸術に感動すると自分の感性を疑う。

疑問「そもそもどう受け止めればいいの」


「芸術は、解釈しようとせず、ありのままに感じろ」と言われましても…。

 

「芸術」に対して

似たような疑問をお感じの方は、
きっといらっしゃるのではないでしょうか。

 

そんな私が


青山昌文先生の
「芸術は世界の力である」

というご著書を読んでからは、

 

感動する芸術には、共通の力がある。

という真実を知りました。

 

それを知ることで、

なぜ感動する芸術と、そうでない芸術があるのか

 

これが、芸術音痴の私にも
少しは分かるようになったと思います。

青山昌文先生の「芸術は世界の力である」

書籍の帯に書いてある言葉をご紹介します。

まずは、
自分が思いこまされている、

芸術とは
芸術家の自己表現であるなどという、

近代主観主義の
硬いカラを打ち破ることです。

それを打ち破ったうえで、

古典芸術が
原理としていたものを知り、

古典芸術の
原理の奥深さを知ることです。

そこまで至れば、
あとは、おのずと、
無理なく、自然に、
古典芸術の素晴らしさが
分かるようになります。

引用元:芸術は世界の力である/青山昌文先生

 

上記の抜粋文から読み取れる、

芸術とは
芸術家の自己表現である
というのは、
思いこまされているに過ぎない

というくだりは強烈です。

つまり
真の芸術は、芸術家の個人レベルの表現にとどまるものではない!
ということでしょう。

 

なお現代芸術も、古典芸術とかけ離れた別物ではなく、芸術である以上、確実に影響を受けて成り立っています。

先生のご著書を拝読した者として、
つたないながらもまとめますと
こうなります。

芸術とは、世界の本質を探究することであり、世界の本質を表現することである。

芸術とは、芸術家の自己表現などではない。
ああ、芸術とは、
なんと壮大なものなのでしょうか。

ボク
「世界の本質」って何かなあ。
パール
「世界を知りたい、表現したい」と、芸術家はそれぞれに、世界を探究していらっしゃるのだと思います。たとえば普遍的な、愛・正義・諸行無常などもその対象でしょう。世界に対する洞察力が、作品に影響を及ぼしているといえそうです。
ボク
「そこに愛はあるんか」じゃないけど、真の芸術には「世界の本質」があるってことだね。
パール
自然を始め、科学や歴史が示すことにも「世界の本質」がたくさんありますね。
「世界」を探究せんとする、芸術家の生きる姿勢が、経験や教養となって、芸術は成り立つもの。

感動する芸術の共通項とは

先にお示しした軸
「世界を探究せんとする姿勢」で
「芸術」を見るようになると、

 

芸術もどき」と真の芸術は
はっきり別物として
見えてくるから不思議です。

 

下記のような印象しか伝わってこない作品は
「芸術もどき」なのではないでしょうか。

 

作家の自己顕示欲

作家の思い付き
作家の気分の表現
作家の好みや趣味
芸術に寄せたお金儲け
芸術テイストの話題づくり
芸術ムードの自己満足

 

作家個人の
さまざまな自己主張的表現に
とどまっているこれらを
「芸術もどき」とするなら

 

感動する「芸術」の共通項

その作品は「世界の本質」に迫って表現している

これだったのです。

芸術家は、「世界の本質」に迫ろうと、経験と教養を積み重ね、自己研鑽を惜しまず創作する。
鑑賞する側も、経験と教養を積み、自己研鑽に努めることで、「芸術」が深く味わえる。
どうやらこういうことかなって、
思いました。

 

青山先生はこうも書いていらっしゃいます。

芸術に感動することは、世界に感動することであり、世界の根源的なパワーによって、自分が、今までとは別の次元に運ばれてゆく、という経験を受けることなのです。

引用元:芸術は世界の力である/青山昌文先生

 

 

濃密なご著書の内容を、
つたないブログで
伝えられるはずもありませんが、

 

真の芸術から感じ取れるのは「世界の本質」

 

それが感じ取れないなら
少なくとも今の自分にとって、
その作品は芸術ではない、
と、すっきり分けて
鑑賞してよさそうです。

 

     魅力的な芸術家


作品に「世界の本質」を感じる「芸術家」からは、おしなべて求道的な精神を感じてきました。「世界の本質」を探究せんとする精神は、人智を超える大きな世界を意識することとなり、慎み深くならざるを得ないのかもしれません。

絵画に限らず、音楽や舞踊なども含めて「芸術家」と言われる方々に、多少なりともお会いして感じてきたことは、人間的な奥深さなのかもしれません。

 

青山昌文先生、
ご専門は「美学」だそうです。

 

 

パール
青山先生が発信されている情報がないかと、ネットでお探ししたのですがたどり着けませんでした。もしご存知の方がいらしたら是非教えてくださいね。

 

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本記事は、過去に掲載していたものを再編集し本ブログで再掲載しています。

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