現在進行形で「辛い」方にとって
この言葉は信じがたいものの一つかもしれません。
試練に見舞われたとき、
「あなたは、器が大きいから
大丈夫、きっと乗り越えられる」
という意味で
励ますときに使われていますね。
この言葉の意味を
スピリチュアルな観点からとりあげ
試練ばかりの人とはどんな人なのかを
ご説明していきます。
どうぞ最後までお付き合い下さい。
目次はクリックしてご覧下さい。
試練ばかりの人とは
この人生で「ぐっと成長しよう」と大きな目標を掲げて生まれてきた人です。
そしてそれを「あなたならできる!」と、人智を超える存在から、太鼓判を押してもらって生まれてきた人です。
ですから
辛い人生を送っている人を見かけたら、
同情するより敬意を払ったほうが、
適切と言えるでしょう。
同情はともすると
「かわいそうに」と
上から目線になりがちです。
大きな目標を掲げて挑んでいる方に対して、
そのような気持ちは
失礼にあたるかもしれません。
もちろん、
支援の手を差し伸べることは大切です。
誰かを助けることは、
自分を成長させることになるからです。
ただその時に、助ける側が、
上から目線にならないように
心がけたいものです。
ではなぜそう言えるのか
詳しくご説明していきましょう。
\医師監修のオンラインカウンセリング/
二つの観点
この記事では
次の二つの観点でご説明します。
自分の人生は、生まれる前に計画してくる
私たちは、自分の人生を、
生まれる前に計画してきます。
計画は、自分一人で作るのではなく、
高次の力も借りて作ってきます。
スポーツクラブにたとえると
スポーツクラブにたとえて
ご説明してみましょう。
スポーツクラブでは、
あなたの目的にあったプログラムを、
コーチと共に計画することがあります。
たとえばこんな感じです。
こうしたことを
専門家の力を借りて計画します。
人生も、高次の力を借りて計画する
私たちの人生も、
コーチともいえる高次の力を借りて
自分で計画を立てて生まれてくるのです。
「すべては運命で決められている」
という考えがありますが
それは間違っているんですね。
自分で作る計画とは、
シナリオのように、
事細かな設定をして
決まったことを決められた通り
役を演じるための計画ではありません。
おおまかな設定を計画したら
あとはアドリブ、
これが私たちの人生なのです。
強制されて、この人生を生きているのではない
そもそも私たちは、
強制されてスポーツクラブに
加入することはありません。
自発的、あるいは少なくとも納得して、
スポーツクラブに入会するのです。
同様に、
私たちは、強制されて
この世に生まれてくることはありません。
スポーツクラブには
運動すればきっとプラスになると
期待して入会するのと同様に
この人生も自ら希望を託して
生まれてきたのです。
「試練」はプログラムの一環
スポーツクラブなら
「レッグエクステンションを20回」
「レッグカールを10回」
などと
具体的なプログラムを
決めると思います。
体力をつけることを目的に入会した
スポーツクラブであれば、
オリンピック選手向けのような
過度なトレーニングを
強いられることはないですよね。
私たちの人生も同様です。
プログラムには
「試練」も入っていますが、
高次の指導を受け、
あくまで本人が納得した上で
プログラムを組むのです。
つまり
どんなにハードな「試練」でも
仮に本人が
「この私が、
オリンピック選手に負けるはずがない
もっとハードなトレーニングを」
といくら言ってみせても、
コーチが
「それは無理」
と必ず判断してくれます。
ところが、本人が納得した上で、
「それでも限界に挑戦したい」
となれば、
そうしたチャレンジを
行うことはあるのです。
辛い人生の真っただ中にいる方は
まさに今、
その挑戦をしているといえるでしょう。
ですが、それも、
あくまでコーチが、
私たちの体力や能力を
必ず考えてくれています。
今は到底
信じられないことかもしれません。
ただ私たちの人生は、
私たちの本質は、魂である
ではもう一つ大切な観点についても
ご説明しましょう。
「その人が
乗り越えられない試練は
与えられない」
という言葉。
これは、
「私たちの本質は、魂」
ということを
踏まえて考えることが大切です。
「試練を乗り越えていく」のは、
あくまで「魂」
ですから
ここが一番
誤解されやすい点でしょう。
典型的な例が、病気です。
その人が
乗り越えられない「試練=病気」は
与えられない
死なない人はいませんし
治らない病気があるのも事実です。
この世に生きる「肉体」として
乗り越えることを指して
「乗り越えられない試練」とは
言っていないのです。
では
「魂」として
試練を乗り越えていくとは
どういうことなのでしょうか。
「魂」は、肉体的試練から学び成長する
死なない人はいません。
誰もがいずれ死を迎えます。
たとえ命が尽きるまで
苦しむ病だったとしても、
肉体から離れ
魂となったときに
「この病気の苦しみを通して、
学ぶことがあった、自分は成長した」
そう思えるのが
人生の「試練」なのです。
死の恐怖や、肉体の苦難で満ちた人生は
病気とは限りません。
心身に障がいを持つ方、
事故やケガで
今後逃れようのない苦難を背負った方も
いらっしゃることと思います。
それでもいつか寿命をまっとうし
魂となってあの世へ旅立ってから
「ああ、なんと素晴らしい人生だったのだろう」
と必ずわかるようになっているのです。
死んですぐに
そこまで悟れる人は
少ないかもしれませんが
いずれ
様々な苦しみが
魂を磨くための
「試練」だったとわかります。
この世でのことは、
あの世で
その意味を知り
振り返ることになる
そういう仕組みになっているのです。
自分で納得して設定してきた「試練」を投げ出すと、いわば大きな失点となるのでしょう。自責の念で苦しむ、これも魂の世界の真実です。
試練を投げだし、自分の命を粗末にするようなことは、決して行ってはいけない行為です。死んだ後に、ただただ今以上に苦しみます。なお「試練」は正面から立ち向かうだけが対処法ではありません。
参考記事を下部でご紹介しています。
「試練」の先にあるもの
とはいえ、この世で
「試練」に見舞われている人に
「魂としては乗り越えられる」
と言っても、なかなか
納得できるものでは無いでしょう。
ただ
「大きな試練」でも、高潔な人がいる
このことは
誰もがおわかりになるはずです。
ちゃっかり生きようとするのか
しっかり生きようとするのか、
そしてそれこそが
肉体を離れた後に
明暗を分かつものなのです。
いくらちゃっかり生きたところで
得たものは、肉体と共に
いずれ消え去るものばかり。
どんなにつらい試練であっても
それで魂が磨かれる。
自分の本質は「魂」だと知ることは、
苦しい「試練」を乗り越えていく
真の力となるはずです。
この真実をつかんだら
決して放してはいけません。
試練の中にあるときは
誰が何と言おうと、
どんなことが起ころうと
自分は今、
素晴らしい挑戦をしていることに
自信をもってください。
どうかあなたの力にして下さい。
「試練」は本当に辛く苦しいけれど
「試練」は本当に辛く苦しい。
でも、その人の魂は
必ずそれを乗り越えていける、
「試練」は
そういう設定になっているのです。
もし、皆様のまわりで
「試練」に苦しむ人を見かけたら
温かな声援を
敬意をこめて送ってさしあげてくださいね。
もし、それが、あなたなら
自分への自信と
明日への希望を
捨てる必要など、
まったく無いことを
どうか知っておいてください。
大丈夫、
必ず乗り越えていけます。
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