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【辛い人生】「その人が乗り越えられない試練は与えられない」のは本当か【スピリチュアル】

「その人が
乗り越えられない
試練は
与えられない」

と、お聞きになったことがあるでしょう。

 

試練に見舞われたとき、

「あなたは、器が大きいから
大丈夫、きっと乗り越えられる」

という意味で
励ますときに使われていますね。

 

ホントかなあ?

って、
思った方もいらっしゃるでしょう。

 

その人が乗り越えられない試練は与えられない

 

この言葉の意味を
スピリチュアルな観点から
ご説明します。

目次から、好きなところをクリックしてご覧いただけます。

二つの観点

この記事では
次の二つの観点でご説明します。

 

自分の人生は、生まれる前に計画してくる
私たちの本質は、魂である

 

自分の人生は、生まれる前に計画してくる

私たちは、自分の人生を、
生まれる前に計画してきます。

計画は、自分一人で作るのではなく、
高次の力も借りて作ってきます。

 

スポーツクラブにたとえると

スポーツクラブにたとえて
ご説明してみましょう。

 

スポーツクラブでは、
あなたの目的にあったプログラムを、
コーチと共に計画することがあります。

 

たとえばこんな感じです。

目的:体力をつけるために
プログラム:①足腰中心の筋トレ20分 ②有酸素運動は30分 ③週に3日以上

こうしたことを
専門家の力を借りて計画します。

人生も、高次の力を借りて計画する

私たちの人生も、
コーチともいえる高次の力を借りて
自分で計画を立てて生まれてくるのです。

 


「すべては運命で決められている」

という考えがありますが
それは間違っている
んですね。

 

自分で作る計画とは、

シナリオのように、
事細かな設定をして
決まったことを決められた通り
役を演じるための計画ではありません。

 

おおまかな設定を計画したら
あとはアドリブ、
これが私たちの人生なのです。

 

私たちは、自由意思を尊重されている。

強制されて、この人生を生きているのではない

そもそも私たちは、
強制されてスポーツクラブに
加入することはありません。

自発的、あるいは少なくとも納得して、
スポーツクラブに入会するのです。

 

同様に、
私たちは、強制されて
この世に生まれてくることはありません。

 

もし「強制的」な力が働くとしたら
それは「地獄」と呼ばれるところでしょう。

 

ボク
地獄ですら、強制されて行く人は限られてるって言われてるんだよ。
パール
詳しいことはまたの機会に♪

 

私たちは、強制されて、この人生を生きているのではない。

「試練」はプログラムの一環

スポーツクラブなら

「レッグエクステンションを20回」
「レッグカールを10回」

などと

具体的なプログラムを
決めると思います。

 

体力をつけることを目的に入会した
スポーツクラブであれば、

オリンピック選手向けのような
過度なトレーニングを
強いられることはないですよね。

 

私たちの人生も同様です。

プログラムには
「試練」も入っていますが、

高次の指導を受け、
あくまで本人が納得した上で
プログラムを組むのです。

 

つまり

その人が乗り越えられない試練は与えられない
ということになるのです。

どんなにハードな「試練」でも

仮に本人が

「この私が、
オリンピック選手に負けるはずがない
もっとハードなトレーニングを」

といくら言ってみせても、

 

コーチが

「それは無理」

と必ず判断してくれます。

 

もちろん本人が納得した上で、

「それでも限界に挑戦したい」

となれば、
そうしたチャレンジを
行うこともあるでしょう。

 

ですが、それも、
あくまでコーチが、
私たちの体力や能力を
必ず考えてくれています。

 

私たちの人生も、
同じような仕組みになっているのです。

 

パール
効率よく成果が出せるプログラムを組む人と、ゆったりとしたプログラムを組む人とでは、違いはあるでしょうね。

 

ボク
試練は「重要プログラムに挑戦中」ってことなんだね。

私たちの本質は、魂である

ではもう一つ大切な観点についても
ご説明しましょう。

 

「その人が
乗り越えられない試練は
与えられない」

という言葉。

 

これは、

「私たちの本質は、魂」

ということを
踏まえて考えることが大切です。

 

「試練を乗り越えていく」のは、
あくまで「魂」

 

ですから

「肉体」として乗り越える「試練」とは限らない。

 

ここが一番
誤解されやすい点でしょう。

 

典型的な例が、病気です。


その人が
乗り越えられない「試練=病気」は
与えられない

 

死なない人はいませんし
治らない病気があるのも事実です。

 

この世に生きる「肉体」として
乗り越えることを指して

「乗り越えられない試練」とは
言っていないのです。

 

では
「魂」として
試練を乗り越えていくとは

どういうことなのでしょうか。

「魂」は、肉体的試練から学び成長する

死なない人はいません。
誰もがいずれ死を迎えます。

 

たとえ命が尽きるまで
苦しむ病だったとしても、

肉体から離れ
魂となったときに

「この病気の苦しみを通して、
学ぶことがあった、自分は成長した」

 

そう思えるのが
人生の「試練」なのです。

 

死んですぐに
そこまで悟れる人は
少ないかもしれませんが

 

いずれ
様々な苦しみが
魂を磨くための
「試練」だったとわかります。

 

この世でのことは、
あの世で
その意味を知り
振り返ることになる

そういう仕組みになっているのです。

 

ポイントメモ
自分で納得して設定してきた「試練」を投げ出すと、いわば大きな失点となるのでしょう。自責の念で苦しむ、これも魂の世界の真実です。
ボク
自分で命を絶つのは大罪だといわれるのも、なんだかわかるような気がしてきた。

「試練」の先にあるもの

ただ、この世で
「試練」に見舞われている人に
「魂としては乗り越えられる」
と言っても、なかなか
納得できるものでは無いでしょう。

 

ただ

「小さな試練」で、心乱れる人と
「大きな試練」でも、高潔な人がいる

このことは
誰もがおわかりになるはずです。

 

ちゃっかり生きようとするのか
しっかり生きようとするのか、

 

「試練」では「心のありよう」がはっきり分かれていきます。

 

そしてそれこそが
肉体を離れた後に
明暗を分かつものなのです。

 

いくらちゃっかり生きたところで
得たものは、肉体と共に
いずれ消え去るものばかり。

 

どんなにつらい試練であっても
それで魂が磨かれる。

磨いた魂こそが
肉体が滅んだ後も
自分の宝となるのです。

 

自分の本質は「魂」だと知ることは、苦しい「試練」を乗り越えていく真の力になります。

「試練」は本当に辛く苦しいけれど

「試練」は本当に辛く苦しい。

でも、その人の魂は
必ずそれを乗り越えていける、

「試練」は
そういう設定になっているのです。

 

もし、皆様のまわりで
「試練」に苦しむ人を見かけたら

温かな声援
送ってあげてくださいね。

 

もし、それが、あなたなら
自分への自信と
明日への希望を
捨てる必要など、
まったく無いことを
どうか知っておいてください。

大丈夫、
必ず乗り越えていけます。

 

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