大切な人を亡くす。
そのつらさ苦しみは
筆舌に尽くしがたいものです。
大切な人であればあるほど
亡くなったその人に対する
思いが募ります。
さまざまな思い出も
よみがえってきて
亡くなったとわかっていても
「何かできることはないのか」
「せめて気持ちを伝えたい」
そんな思いで
胸がいっぱいになってしまうものです。
故人に対して行うことができる
一番大切なことは
「供養」です。
立派なセレモニーのことを
指しているのではありません。
この記事では、
亡くなった方にとって
供養になる祈り方や
思い出すときの心構えについて、
ご説明します。
記事の内容
- 供養になる思い出し方や祈り方
- 供養にならない思い出し方や祈り方
肉体が死を迎えても、魂は今も生きている
人の死は、とてもとても悲しいこと。
ただ、人は、
肉体の死を迎えても、
魂は、今も、生きています。
大切な人が既に亡くなっていたとしても
その人のことを思い出したり
ご冥福を祈ることは
本当に大切なことなのです。
心から思うことは
必ずその人に伝わります。
供養とは、故人の死後の幸せや魂の幸せを願うこと
どういうことなのでしょう。
悲しみを伝えることではないことに
ご注目いただきたいと思います。
悲しみの思いだけを送ってしまうと
故人の苦しみになってしまうのです。
悲しみすぎてはいけない理由
そう想像してみて下さい。
ここでは一つのケースとして、
災害で命を落としたケースを
取り上げてみます。
家屋が壊れ
街がなくなり
仕事も再開させられそうにない。
残された家族や
友人知人らは
どうやって生きていけばいいのだろう。
もし自分が、亡くなった側だったなら…
そうなのです。
亡くなった人は、
この世に残した人のことを
気にかけているのです。
肉体が死を迎えた。
そのとき一番困っているのは
亡くなった本人である
自分であったとしても
残された家族や、友人知人など
大切な人のこれからを思って
心配ばかりが募ると
更に苦しみが増してしまう。
それが亡くなった方の思いなのです。
ですから、
良心をもった多くの人は、
自分の死に際して、
残された側が、
亡くなった方を思って、
あなたが亡くなって悲しい
あなたが亡くなってつらい
あなたに生きていてほしかった
なぜ死んでしまったのか
もし、こんな思いばかりを
向けてしまうと
故人にとって
どれほどの苦しみになるかということは
ご想像いただけると思います。
自分の死を悲しんでくれるのは
ありがたいことではあるのですが
これほど辛いことはないでしょう。
本当にたまらなく辛いことなのです。
特に突然の死を迎え方は
大なり小なり、人生に
悔いを残していらっしゃることでしょう。
そこに「なぜ死んでしまったの」などと
大切な人が
いつまでも嘆いていることが伝わると
更に追い打ちをかけることに
なってしまいかねないのです。
悲しみを、感謝やねぎらいに
悲しんではいけないのではありません。
大切な人を亡くして
悲しまないでいられるはずがありません。
涙が枯れるまで泣いてもいいのです。
ただ、故人のことを思うなら、
これはとても大切なことなのです。
悲しい気持ちは、故人の存在がいかに大きかったかを表しています。
故人に対する「ありがたさ」を感じているから悲しいのです。その「ありがたさ」に軸足を置いて、思いを伝えることです。
次の二つが含まれています。
悲しみを感謝とねぎらいに変える例
あなたが、私にとってどんなに大切な人だったか、わかってるでしょう。あなたを失ってつらくてたまらない!
⇒ あなたは私にとってかけがえのない大切な人。あなたのような素敵な人と人生を共にできて、私は本当に幸せです。今まで本当にありがとう。
あなたにもっと生きてほしかった、なぜ死んでしまったの。
⇒ いつか私もあの世に行くから、きっとまた会いましょう。再会するときには、お土産話をいっぱい持っていくからね。あなたはこれまで本当によく頑張ったんだもの。これからは天国でゆっくりしててね。
あなたと過ごした思い出がありすぎて寂しい。
⇒ あなたと過ごした思い出は私の宝物、たくさん作ってくれてありがとう。これからも大切にします。
この先、どうしていけばいいのかわからない
⇒ あなたがしてくれたことがいっぱいあるから、それを思い出して、私も頑張っていきます、見守っていてね。
感謝やねぎらいの気持ちをたむけると故人の「徳」になる
亡くなった人に寄せられる思いは、その人の価値を左右するのです。
あの世では、本人のそれまでの言動が善か悪か、どちらに傾いていたかが問われます。そして、その人に寄せられる、他の人からの「思い」も、重要なのです。
「感謝」を向けられるのか、「恨みや憎しみ」を向けられるのでは、まったく違ってしまうのです。
悪徳犯罪者などは恨みや憎しみをむけられる
人を苦しめてきた人は、本人自身が、ダークで重い思念をまとっています。また死後は、苦しませた相手の、恨みや憎しみなども確実に受け取ることになり、沈んでいきます。これが地獄に堕ちるということです。
仮にこの世で犯罪者が特定されず裁くことができなかったとしても、その人の行為から生じた、多くの人の恨みや憎しみという「ダークで重いエネルギー」は、死後、確実に本人が受け取ることになるのです。
そんなエネルギーをまとったまま、明るく軽やかな世界、天国や極楽と言われるような世界に行くことはできません。
あの世は、思いだけがすべてです。
この世で重視されている
裕福さや、学歴、肩書などで
評価される世界ではありません。
その人に寄せられる思いの質も
その人の価値を左右します。
故人の死後の幸せを願うなら
是非、感謝やねぎらいの気持ちを
たむけてさしあげたいものです。
残された人にも、天のご加護を
あの世に旅立とうとする人に、「これからも助けて、まもって」とすがるのは、旅立ちの妨げになる恐れもあります。
また、肉体が死を迎え、魂の存在となった方が、この世に直接的な影響力を発揮できるかといえば、まず期待できないと言ったほうが正しいでしょう。
亡くなった方に、天の導きがあるように、残された方にも、必ず天のご加護がいただけます。
亡くなった方を失った悲しみにとらわれず、亡くなった方の幸せを願って、感謝とねぎらいで送り出す人を、天が見捨てるはずがありません。亡くなった大切な方に負担をかけるより、神仏に、これからのご加護を祈りましょう。
神仏という言葉がなじめないなら、大いなる宇宙、ハイヤーセルフなど、他の言葉でも構いません。人智を超える高次の存在が、宇宙の秩序を守っていて下さるのです。善念で故人を偲び、善念で自分を奮い立たせようとする人に、必ずご加護はあるはずです。
被害で命を落とした方に対してできる祈り
祈りは、思っている以上に、力があります。
悲しみの祈りではなく、
御霊への敬意をこめて
死後の幸せや、
これからの魂のお幸せを
どうぞ祈って差し上げてください。
お一人お一人の気持ちが
少しずつでも届いたら
それが亡くなられた方々の徳となり
天のご加護の力も増すことに
つながっていくことでしょう。
まとめ
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