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【罪と罰】カルマの法則で「悪」の因果応報を解説!悪人が徳を積んだら許されるの?【スピリチュアル】

「悪いことをしたら、天からバチが当たる」

これはカルマの法則の一面を端的に表しているといえるでしょう。


\そもそもカルマって何?/

【カルマとは】かんたん解説!


 

ただし、悪いことをしたからといって、すぐにバチが当たるわけではありません。

カルマは、前世や来世まで含めた、大きな時の流れの中ではたらく天の摂理です。

 

もし私たちが「悪いこと」をしたらどうなるのでしょう。

この記事では、「悪」の因果応報を、カルマの法則でご説明します。

 

カルマは、慈悲に満ちているからこそ、厳しく、公平に、かつ優しく働く。

 

目次はクリックしてご覧下さい。

罪を犯したら罰を受ける⁈懲罰的カルマについて

ここでは「悪」をなしたことで生じる、懲罰的な(懲らしめとしての)カルマについて説明します。

 

今世の「罪」が来世に「罰」をもたらす一例

今世にまいた「悪い種」を、来世で「悪しき実り」として刈り取る場合を想定します。

「罪」に対して、カルマはどのような「罰」を与えることがあるのか、考えられることをいくつかあげてみました。

 

人に暴力をふるった人のカルマの現れ方(例)

①自分が暴力被害にあう
②自分の大切な人が暴力被害にあう
③暴力をふるえないよう身体に不具合が生じる
④暴力の被害者を救済する立場で働く

 

ボク
だとしたら心身のハンデがあるのは、バツってこと?
パール
カルマはそんな単純なものではないんですよ。ただ「目には目を」という形でカルマの法則が働くことはあるんです。

 

ハンデを持つ人が、必ずしも懲罰的カルマを受けているとは限りません!

 

ボク
詳しく知りたいな。
パール
ではまず「自分が被害者の立場」になったことを想像してみてくださいね。

お手本を示すために課される苦難もあります
\詳細は下記からご覧下さい/

カルマは、「目には目を」なのか

自分が被害者の立場であれば、「目には目を」をという形で、加害者に懲らしめのカルマが現れるなら、納得もしやすいでしょう。

でも、④でカルマが現われたなら、手ぬるいと思うかもしれません。

④暴力の被害者を救済する立場で働く

 

ただ、懲罰的なカルマは、第三者が推し量るよりも、当人にとっては、厳格な懲らしめとなって確実に働きます。

たとえば、見えない血と涙を、何年も何年も、心身から流し続けるような苦しみを与えられているのかもしれないのです。

 

   「暴力の被害者を救済する」ことは悪しきカルマの刈り取りとなるのか?


「暴力」で、どれほどまでに人が苦しむのか、一人の被害者が生まれることで、どれほどまで多くの人に不幸が広がるのかを、被害者やその家族の様子から、痛いほど学ぶことになるのかもしれません。

 

ボク
カルマは、「目には目を」というわかりやすいバツが与えられるとは限らないんだね。
天の摂理は、私たちとは次元の違う高位で、厳粛に確実に働くのです。

すぐにバチが当たればいいのか

カルマは輪廻転生をベースに考えることで、大いなる慈悲の仕組みとなっていることがよくわかります。

 

悪いことをしたらすぐバチが当たればいいのに! そのほうが因果応報がわかりやすくて悪人がいなくなるのでは?

力の無い人をつぶすために、カルマは働きません。

たとえ大罪を犯した人であっても、その時にそれを償う力量が無いなら、時を待ってくれるのです。

 

その人がまいた種は、必ず本人が刈り取れるよう、タイミングと環境を見計らって、カルマは発動します。

 

つまり、大きな罪は、大きな償いができる、タイミングと環境がととのうまで、カルマが発動しないことがあるのです。

これは大変厳しいことであり、大変公平なことであるともいえるでしょう。

 

自分がまいた種とはいえ、刈り取る力が無い時は刈り取れません。

 

天の摂理は、その人が自分で刈り取りができるよう足腰を鍛えさせ、心を耕させてから、それからカルマを発動させます。
大罪を犯した人物に対してすら、そのような配慮がなされてカルマが働くのです。

カルマの発動が今世でないとすれば、来世や来来世にもちこされることとなるのです。

 

カルマは、大いなる慈悲に基づいて働いています。

悪事を働いた以上、ひどい目にあうのか

私はかつて誰にも言えないような悪事を働きました。いずれひどい目にあうのかと思うと怖くてなりません。

借金は、分割で返済をすることがあります。

つくってしまった「借金」は、チャラになることはありませんが、天の摂理はそもそもが慈悲で成り立っています。

積極的に「分割返済」をしていくことで、自分がまいた「悪い種」を、一つひとつ刈り取っていくことが可能です。

 

特におすすめしたいのは、「返済」と同時に、「よい種まき」を心がけることです。

今からまく「よい種」は、いずれ「よい実り」となることでしょう。

「よい実り」は「悪しき実り」の影響を小さくしてくれるはずです。

 

バツにおびえるよりも、善行を積むことを心がけましょう。

 

一粒でも多く「よい種」をまくこと、これがとても大切です。

「悪」を自覚したら「徳」を積もう

誰にも言えないような悪事をなしたと自覚したなら、誰にも認めてもらえなくても徳を積みましょう。

 

積極的に「よい種」をまくこと、まき続けること。

これを自分に課していくことは大変重要です。

 

罪悪感があると、自分を罰してしまう人が多いものです。

そして自分を粗末に扱うようになりがちです。

 

私は幸せになってはいけないのではないか。どうせ自分なんか何をしても仕方がない。
不幸が好きなら、そう思い続けても構いません。
でも心底、不幸を望む人などいないのではないでしょうか。
だとしたら幸せになる方向に舵をきることをおすすめします。
罪を犯したのはいつでしょう。
その過去に、ずっと自分を縛っているのではありませんか。
それでは、善行が積めません。

罪を自覚したなら、それを契機に、人として成長していくこと。

それこそが、天が人に託している一番の願いなのです。

悪人が徳を積むとどうなるのか

カルマに慈悲が働いているなら、悪いことをしてもお目こぼしがあるはずだと、安易に期待するのは危険です。

二人の会話でご説明しましょう。

 

ボク
ボク、これから頑張っていいことをするから、これまでの悪いことがチャラになるといいな。
パール
残念ですが、そうはならないんですよ。
ボク
いいことをすることで、悪いことが消えていくんじゃないの?
パール
悪い種をまいた以上、必ず悪いものが実ります。それは必ず自分で刈り取るしかないのです。ですから悪い種をまいたと気が付いたら、大きく育つ前に、すぐに刈り取る、これが大切なんですね。
ボク
じゃあ、悪人がバツを受けるのは、逃れようが無いの?
パール
カルマは、原因と結果のバランスに対して大変厳しく働きますので、バツはバツとして受けるしかないでしょう。だからこそ「よい種」をまくことが大切なんです。
ボク
「よい種」をまいておくことで、バツを受ける時に助けてくれる人が現れたりするってことかな?

 

善行は、罪を償う手段ではありません


もちろん善行を積むことで、助けてくれる人が現れるということも起こり得るでしょう。

大切なことは、善行というのは、善行をなす人の魂を救う道につながるということです。

罪を犯した人こそ、自らの魂を救うために、「よい種」をまき徳を積むことが、本当に大切な大切なことなのです。

被害者が、直接、加害者に復讐することについて

ひどいめにあった被害者が、直接、加害者に復讐するのは、天に代わって因果応報を与えるカルマのうちになるのでは?

被害者はどんなにかお辛いこととは思いますが、憎しみで行う復讐は、「悪い種」をまくことに他なりません。

この世的な法の裁きなど、しかるべきことは粛々と行い、一方で、心情的には、自らやりかえす必要はないのです。

 

悪は、必ず天が裁きます。
その人がそれ以上の悪を重ねないように懲らしめることは、この世的にも重要なことです。

 

ただ善良な被害者が、加害者のために悪意に染まることは無いということです。

 

ボク
わー、難しいなあ。これは言うはやすく行うは難しだね。

 

   復讐を考えるほど憎くとも


一番大切なことは、被害を受けた方の救済です。復讐心という毒を作って苦しむのは、他ならぬ被害者さん本人でしょう。

必ず天が裁いてくれる。これを信じることは、被害者さんの心の毒を消し去る救いとなるはずです。

 

「懲らしめ」は、天にゆだねておきましょう。生きているうちに懲らしめられなくても、減刑されることなく、来世や来来世に持ち越され、確実に厳しい「懲らしめ」が働きます。

 

ボク
カルマに「減刑」はないの?
パール
「分割」はできても「減刑」はないんです。それほどまでに厳格で公平なのです。

善行を積みたいなら

よい事をしていても報われません。いつか報われると本当に信じていいのでしょうか。

よい種をまけば、必ずよい実りとなって、その人自身が受け取れる、これがカルマです。

ただ「見返り」を求めて行う「善行」は、取引をしている心境と言えるでしょう。

 

カルマでは、「何」を行ったかということより、「どんな心」で行ったかが問われます。

 

ただ、取引的心境であったとしても、行動することで、心が磨かれていくというのも真理です。

卵が先か鶏が先か、と言えるでしょう。

自分の心を点検しながら、本当の善意で、ほんものの善行ができることを、目指していきたいものです。

 

カルマは、何よりも「心」が問われる


これをひとことで表したのが「貧者の一灯(ひんじゃのいっとう)」です。貧しい人でも心こめて寄進したものは、虚栄に満ちた金持ちが贈る豪勢なものよりも価値があるという意味です。

 

「カルマ」を生きる知恵と勇気にする

「カルマ」は、次の視点をもつことで、生きる知恵と勇気になります。

 

悪い種をまくのか、よい種をまくのか

マイナスのカルマをつくっていないか点検する


「悪い種」をまくような生き方をしていないか。それはいずれ「悪い実り」となり、自分で収穫することになる。「悪い種」をまいたと気が付いたら、すぐに刈り取ろう。

プラスのカルマをつくっているか点検する


「よい種」をまくような生き方ができているか。それはいずれ「よい実り」となるので、収穫を楽しみにしよう。仮に、収穫が来世になるとしても、今世、一つでもよい種をまき、育てていこう。

自分の幸運や不運について

自分が幸運なら


「過去世」にまいた種が「よい実り」となったと感謝しよう。この「よい実り」を礎に、新たな「よい種」をまいていこう。

自分が不運なら


自分が「過去世」にまいた種の「悪しき実り」と受け止め、一つでも多く刈り取っていこう。
自分には「悪しき実り」を自分で刈り取る力量があると、天が判断してくれたのだ。天の信頼と期待に、こたえていこう。

 

他人の幸運や不運について

他人が幸運なら


あの人は、過去世にまいた「よい種」が、今世「よい実り」として与えられているのだろう。私もいずれ「よい実り」を収穫できるように努力しよう。

他人が不運なら


その人が、身を挺して、不幸や苦難を教えてくれることに感謝しよう。私は何が学べるだろうか。私に何かできることはあるだろうか。

 

 

カルマは決して懲罰としてだけ働くのではありません。

カルマについて理解が深まると、来世にも続く本当の幸せを築いていくことができます。

今、どんな境遇にいても、どんなに歳を重ねていても、です。

 

さあ、今日も、一粒でも「よい種」をまきたいものですね。

 

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