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神社仏閣巡りが趣味だと「危ないことがある」と言われる本当の理由

今回のご質問はこちらです。

神社仏閣巡りが趣味だと言ったら、「危ないことがあるから気を付けて」と言われてしまいました。どうして?

神社仏閣めぐりを趣味にする人が増えました。

古から続く日本の伝統や文化、そしてその土地独自の歴史に触れることができるので、神社仏閣巡りは魅力的ですね。

参拝を通じて心が落ち着き、清々しい気持ちになれることも多いでしょう。また、御朱印集めや四季折々の美しい風景を楽しむことも、神社仏閣巡りの醍醐味です。

そんな魅力あふれる趣味ですが、危険を避けるために知っておきたいポイントがありますのでご紹介しましょう。

祀られている存在を確認する【神社仏閣巡りが趣味なら】

訪れる神社仏閣に「何が祀られているのか」を確認することはとても大切です。

特に神社では、怨霊や動物霊を祀っている場合があり、霊的なことに敏感な方は特に注意が必要です。

歴史上の有名な怨霊と、それを祀る神社

木漏れ日

崇徳天皇(すとくてんのう)
崇徳天皇は平安時代の人物で、保元の乱(1156年)において皇位継承争いに敗れ、讃岐に流されました。その後、深い恨みを抱きながら亡くなり、怨霊として恐れられる存在となりました。

祀られている神社
白峯神宮(しらみねじんぐう)京都府:崇徳天皇を慰霊するために建立された神社です。時の権力に幽閉され逃亡の末亡くなった淳仁天皇と御併祀になっています。

菅原道真(すがわらみちざね)
菅原道真は、皇室の後継問題に巻き込まれ、陰謀により大宰府へ左遷されました。道真の死後、天変地異が起きたり、立て続けに関係者が亡くなるなど不幸が続いたことから、怨霊として恐れられるようになりました。道真は、現在の太宰府天満宮の地に葬られました。

祀られている神社
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)福岡県: 今では学問の神様として親しまれています。

平将門(たいらのまさかど)
平安時代の武将で、関東地方で反乱を起こしました。彼の首が京から関東に飛んでいったという伝説があり、怨霊として恐れられています。首が落ちたとされる現在の大手町には、首塚もあります。首塚は、都内の一等地にありながら、戦後になって撤去しようとした関係者(GHQや大蔵省など)に不幸が相次ぎ、今も撤去されていません。

祀られている神社
神田明神(かんだみょうじん)東京都:
東京の中心に位置するこの神社では、三ノ宮として将門公が祀られています。参拝時には力強いエネルギーを感じる方もいるようです。明治時代、天皇が参拝する神社に、逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされ、平将門が祭神から外されたことがあります。

動物が祀られている例

神社には動物霊が祀られている場所もあります。代表的なものは蛇や狐です。



蛇は水神や財運の象徴として祀られることが多いですが、エネルギーが強いため注意が必要です。



稲荷神社で祀られることが多い狐は、現世利益を求める人の、商売繁盛や家内安全の守護として親しまれています。ご利益が評判になる一方で、お礼参りなど、「お返し」が大切だとも言われます。


また、他にも「龍」や「狼」を祀る神社も存在します。これらの動物霊にはそれぞれ強いエネルギーが宿っていることもあります。

崇拝と鎮魂の違いを知っておく【神社仏閣巡りが趣味なら】

神社仏閣巡りをする際に、祀られている対象を、単純に「神仏」として崇めることは、慎重に考えた方が良いでしょう。

特に神社には、災厄を避けるために怨霊や祟り神を鎮める目的で祀られているケースが少なくありません。これらは、鎮魂を目的としているものです。

もし、そうした事情を知らずにいたずらに「崇める」ことで、その怨霊や祟り神と縁がつながることや、その存在に力を与えてしまう可能性があると考えたほうがよいのです。

これが、安易に神社仏閣巡りをするのは危険と言われる本当の理由です。

YURI
「祀ってあるものがよいものとは限らない」だなんて、意外と意識していないかも。
chikako
これは、神道の特色に関係していると言えそうです。詳しく見てみましょう。

知っておきたい「神道」の特色

サカキの花

神道には明確な教義や戒律がないため、参拝者がどのように祈るかは比較的自由です。ただし、特定の神社においては「崇拝」よりも「鎮魂」が本来の目的であると知っておくことが重要です。

仏教やキリスト教では、神仏を「崇拝する」姿勢が中心にあります。信仰者は救いや悟りを求め、いわば神仏に近づこうと自らを向上させようとするため、教義や戒律が明確に定められています。善悪の概念もはっきりしており、極楽や天国、地獄などがその代表例です。

 

YURI
神道では、どうでしょう?

一方、神道では、善悪の概念はあまり重視されていません。その代わり、ケガレ(穢れ)やタタリ(祟り)を避けるための儀式や習慣が多く存在します。

これは、「怖れ」に基づいた信仰形態であり、霊を祀って鎮めることで災厄を防ぐという考え方が根付いているからでしょう。

神道における祈りの目的は、霊を鎮めて地域の平安を願うことや、霊力を期待して繁栄や発展を祈ることが多く見られます。結果として、祈る人自身の成長や善悪の基準に基づく教義は乏しくなっているのかもしれません。

また、神道では自然や地域との調和を重んじる習慣が強調されており、これが日本文化に深く根付いています。

そのため、「祟りを怖れる」「調和を重んじる」といった風土が、私たちの日常生活にも大きな影響を与えていると考えられるのです。

 

ボク
何事も行き過ぎるとよくなさそうですね。

【暮らしへの影響】神社仏閣巡りを安易な趣味にしない

YURI
「祟りを怖れる」「調和を重んじる」といった気持ちが強いとどうなるのでしょう?

例えば、職場や地域社会で、「誰が言ったか」によって、意見の正しさが決まることはありませんか?

つまり「どの意見が正しいか」を議論することなく、一度権威を持った人物の発言が、内容にかかわらずそのまま通ってしまう場面が見受けられないでしょうか。

正しいかどうかはともかく、「力をあてにして、あがめておく」という姿勢は、時に私たちの価値観や人間関係のあり方にも直結しているかもしれません。

正しいかどうかはともかく「力ある人に、嫌われては損だからあがめておく」という姿勢は、いわばタタリを怖れる気持ちに通じているように思えます。

これまで見てきたように、日本は、善悪の基準があいまいな文化が根底にあることで、私たちの日常生活にも影響が及んでしまうことがあるのです。

これは、神社仏閣巡りにおける姿勢に似ているかもしれません、例えば、「魂を鎮める」ことが大切な怨霊や祟り神に対してまで、あるいは動物霊にまで、その「力」を盲目的に崇める姿勢に通じます。

善悪の基準が曖昧なまま、表面的な「力」に従う風潮が形成されるのは、現代の社会でも同様のリスクを孕んでいると言えそうです。

神社仏閣巡りは、歴史や文化に触れる素晴らしい趣味ですが、その背後にある信仰の意味を正しく理解せずに、ただ「力をあてにして、何でもあがめておく」ことをよしとしてしまう風潮は、一度、正しく向き合っていく必要があるでしょう。

そこには「寄らば大樹の陰」「赤信号、みんなで渡れば怖くない」「損はしたくない」という価値観に傾きやすい精神性が見え隠れしていそうです。

もちろんプラスの面では「調和する」「異質なものも受け入れる」という懐の大きさにもつながっているのでしょう。

ただ、表面的な力や権威に流されすぎると、物事の本質を見極める目が損なわれる恐れがあることを知って、より良い生活や社会を築いていきたいものですね。

【まとめ】神社仏閣巡りを趣味にすると危険と言われる本当の理由

神社仏閣巡りでは、祀られている対象を確認することが大切
怨霊や動物霊を祀る神社では、霊的な影響を受ける場合がある
崇徳天皇、菅原道真、平将門などは、怨霊を鎮めるために神社がある
神道では、ケガレやタタリを避ける儀式が多い
善悪の曖昧さは、権威に従う風潮や社会の影響に繋がることがある
神社仏閣巡りは歴史と文化に触れる素晴らしい趣味だが、信仰の意味を理解して行うことが重要

 

神社仏閣巡りは、日本の伝統や文化を感じることができる素敵な趣味です。

ただ、その背景にある信仰や歴史を理解し、何が祀られているのか、どういった意味を持つ場所なのかを知ることは大切でしょう。

表面的な力や権威に頼るのではなく、物事の本質を見極める目を持ちながら、歴史や文化との触れ合いを楽みたいものですね。

 

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