人の死にまつわることは、時代の移り変わりとともに形骸化してしまっていることが少なくありません。
通夜・葬式・四十九日・墓・祭壇(仏壇など)
なぜこれらを大切にしてきたのか、それにはちゃんと理由があります。
本来の意義を、スピリチュアルな観点から取り上げてみました。
こんな方に
- 死んだらどうなるのか不安だ
- お通夜やお葬式は必要なのか疑問だ
- 墓や仏壇は、無しにしようかと、実は迷っている
お葬式やお墓など、どれをとっても、手間も時間もお金もかかるため、実情にあうように合理的に考えることも大切でしょう。
ただ、霊的な観点からみて「間違い」を犯してしまうことだけは避けたいもの。
今では、お葬式もお墓も、「残された人」が故人を偲ぶためのものだと思っている方が少なくないのですが、実はそうではないのです。
- 死を迎えた直後から、納骨の頃までの、魂の様子
- 霊的観点からみた、通夜・葬式・四十九日・墓・祭壇(仏壇など)の意義
亡くなった方の魂が迷うことなく旅立つためにも、大切な重要ポイントをまとめました。
ご参考になれば幸いです。
霊的な意義を知る重要性
霊的な意義を知ることは、故人を偲ぶためだけではなく、あなた自身が、あるいは、あなたの大切な人があの世へ旅立つときに、きっと力になります。
目次から、お好きなところをクリックしてご覧いただけます。
魂について
「人の本質は魂であり、魂は肉体が滅んでも存在している」
これは世界中で広く言われてきたことですね。
人は肉体が死を迎えると、物質世界である「この世」を離れ、魂としての世界、「あの世」に旅立っていくのです。
魂と肉体をつないでいるものを「霊子線(れいしせん、シルバーコードとも呼ばれる)」と言って、それが切れるまでに24時間程度かかります。
ご遺体を見守り一夜を過ごすのが「お通夜」です。
お通夜を過ごす間に霊子線が切れますので、魂がちゃんと肉体から離れるのを待って、肉体を葬ることになるわけです。
そう考えると「なるほどー」と納得できることがいっぱいあります。
魂は、霊子線で肉体とつながったまま、浮遊しているような状態です。また肉体が死を迎えても、すぐに自分が亡くなったという自覚を持てるとは限りません。
お通夜は、魂と肉体がきちんと離れるまでに必要な経過措置とも言えるでしょう。
ですから、この状態で肉体へ痛みや苦しみを与えてしまうと、魂がそれを味わうことになってしまうのです。
また、亡くなった方は、この段階では自分の死に戸惑っていることが多いのです。
ですから、一つ一つ自分の死を自覚していくためにも、安静にして差し上げることは大切です。
そうして自分の亡骸を眺め、自分の死を悼む人や、葬儀などの準備が始まる様子を見ながら、死の自覚を深めていく時間が必要なんですね。
肉体が死んだあとも、しばらくは痛みが続いていることは少なくありません。少なくとも霊子線が切れるまでは、肉体の感覚は伝わっています。
痛みや苦しみがあった人を見送るときには、「肉体から魂が離れると、苦しくなくなるよ、痛くなくなるよ」と教えてあげるといいかも。
「苦しいのによく頑張りましたね、体の苦しみはもう終わりますよ、あなたは魂になったんですよ」などと伝えて差し上げることで、魂の安らぎになりそうです。
声に出して語り掛けてあげたらいいよ。霊になったからといって、人の心の中まで見えるとは限らないもの。
納棺師について
納棺師(のうかんし)が、亡くなった方を棺に納める様子をご覧になったことはありますか。
亡くなった方の体をきれいに清め、着替えや死化粧をしてくださる納棺師、映画「おくりびと」で見て知った方もいらっしゃるかもしれません。
納棺師の、死者に対する丁寧な所作には感動させられます。
それはもちろん故人への畏敬の念の表れなのでしょう。
そしてもう一つ、亡くなった直後、つまり霊子線が切れるまでの間は、肉体を大切にして差し上げることが、魂にとってどれほどありがたいかを、知っていらっしゃるからではないでしょうか。
通夜と葬式の霊的な意義
通夜もお葬式も、故人をしのぶために「残された方のため行う」と思われていることがありますが、決してそれだけではありません。
よほど悟っていた方は別として、肉体が停止したからといって、魂となった自分に実感が伴わないのは当然でしょう。自分のお通夜やお葬式などの様子を見ることで、自分の肉体が死を迎えたこと、もはや自分は魂としての存在となっていることを受け止めていくのです。亡くなった方の心構えをつくる、お通夜やお葬式は、そのための大変重要な儀式なのです。
最近は「お葬式なんて好きなスタイルでやればいい」という風潮がありますが、亡くなった方ご本人が「ああ、自分は死んだのだ」と理解できる場にすることが大切なのです。
亡くなった方が理解できないものでは意味がないでしょう。
死んだ後の戸惑い
亡くなっても死の自覚が無い魂は、見守っている家族たちに、一生懸命に声をかけていることがあります。
亡くなった人の声は、この世の私たちには聞こえません。
一方、この世の私たちからの声は、亡くなった人にも聞こえるそう。
となると、死んだ自覚が無い魂にとっては、家族達に話しかけているのに無視されているように思えて、会話がかみ合わずパニックになることもあるのです。
肉体が死んだらそれでおしまいと信じ、魂の存在を疑っていた人に多い傾向です。
死の自覚を促して差し上げることはとても大切なこと。
また、何よりも私たち自身が、死後は魂となって「生き続ける」ことを知っておくことが、とても大切なことなのです。
大なり小なり、多くの人はそうした戸惑いを経ながら、自分の死を自覚していきます。
ですから自分の「死」の自覚を促してくれるお通夜やお葬式は、とても重要なのです。
もちろん無理をすることはありませんが、手の届く範囲で「あなたを大切に思っている」と伝わる「かたち」を調えて差し上げたいものです。
\16時までの注文で翌日納品/
四十九日と、墓や祭壇(仏壇など)
日本では一般的に四十九日を迎える頃に、お墓に埋葬することになります。
この頃までには、あの世からのお迎えも来てくださると言われています。
亡くなった方ご本人が自分の死をきちんと受け止められるよう、四十九日もの時間を丁寧にかけてもらえる。
そう思うとありがたいですね。
例外はありますが、多くはそのように1か月以上かけて準備を調え、旅立っていくのです。
魂の旅立ちは、この世の「卒業式」のようなものと言えるかもしれません。
卒業式も、何日もかけて準備をすることで心構えができていくのでしょう。
もちろん魂が、お墓や仏壇にずっと留まっているわけではありませんが、この世とあの世をつなぐ「場」が大切なのです。
「思い」は「かたち」で伝え合う
ちょっと想像してみてください。
たとえば、「思い」さえあればいいのだと言わんばかりに、感謝やお詫びの言葉も無い人と、はたして「思い」を通わせることができるでしょうか。
感謝やお詫びは、言葉や態度で示したり、そのしるしとして贈り物をしたりして伝えています。
私たちは「思い」を「かたち」あるもので伝えあっているのです。
多くの人にとって墓や仏壇は、「思いを届ける場」「思いをつなげるシンボル」という認識があります。
そもそもそうした「思い」が、墓や仏壇という「かたち」となり、長い歴史を経た今も、現代に伝わっているのです。
つまり、あの世の、霊的存在となった方々からみても、墓や仏壇は、この世とつながるよすがとしてしっかり認識されていると考えるとよいでしょう。
亡くなった方への「思い」を「かたち」にする、その代表例が、お墓参りや仏壇に手を合わせる事。
現代人がいかに墓や仏壇をおろそかにしたとしても、先にあの世に旅だった方々、たとえば先祖代々の皆さまにとっては、長い長い時を通して積み重ねた、墓や祭壇(仏壇など)への「思い」があるはずです。
つまりお墓や祭壇(仏壇など)は、あの世から見ると、まぎれもなく「思い」の象徴となっている、そう考えると、おろそかにすることはできませんね。
自分の死後を想像してみる
もし自分が亡くなって、魂の存在となったら、と想像してみると、この世の人と「思い」を通わせられる場が無いことは、とても悲しいことではないでしょうか。
一方で、残された人に過度な負担もかけることも、子や孫の幸せを願う立場としては望んでいないはずです。
お墓や仏壇なども実情に合わせて見直すことも大切です。
子孫に重いツケを回さないのも、人としての大切な配慮でしょう。
この世から届けたい、亡くなった方への「思い」
あの世から届けたい、残された方への「思い」
あの世からの「お迎え」と「お墓を直して」という夢のお告げ・オーブの写真も
まとめ
- 人の本質は、肉体ではなく魂
- 魂と肉体をつないでいる「霊子線」が切れるまでに24時間程度かかるので「お通夜」は大切
- お通夜やお葬式は、魂があの世に旅立つ心構えをつくる重要な儀式
- 多くの人はあの世に旅立つために、お迎えの力もいただきながら、1か月以上かけて準備を調えていく
- お墓や仏壇は、あの世とこの世をつなぐ「場」としてとても大切
いつかは誰もが「あの世」へと旅立っていきます。
「死んだらどうなるのかな」と気になり始めたら、あの世に思いを馳せてみてはいかがでしょう。
\関連記事はこちらです/
人があの世に旅立つときに渡ると言われる、「三途(さんず)の川」。この川は「あの世」の入り口につながっていると言われています。「死んだらどうなるのだろう」と誰もが考えますが、ましてやコロナ禍の今は、他人事だった死が、ぐっと身近[…]