近年、SNSやネット掲示板では「子持ち様」「うざい」「迷惑」という言葉を目にすることが増えています。
この言葉は、子育て中の親に対する批判や反感を表しており、子持ちが職場で急に休むことによるしわ寄せや、偉そうで厚かましい態度に対する不満が背景にあります。
「子持ち様、明日休むんだって」「滅びねーかな」「ざまぁ」といった心無い言葉が飛び交う中、子育て中の人に対して「関わりたくない」とする風潮すら生まれています。
一方で子どもを持たない夫婦に対しては、「せっかく結婚したのになぜDINKsを選ぶのか?」という疑問を投げかけられることもあるようです。
こうした現象は子どもを生み育てる環境が整っていないことが大きな理由の一つと考えてもよいでしょう。
今回は、子育て中の人への批判がなぜこんなに強くなったのか、そしてその背景にある社会的な問題について考えていきたいと思います。
記事内容
- 「子持ち様」とは何か
- 子育て中の人への職場での不満
- 「子持ち様」発生の社会背景
- DINKs選択の理由
- 若い人が参画しやすい政治が大切
目次はクリックしてご覧下さい。
子持ち様への批判「うざい」「迷惑」「滅びねーかな」
「子持ち様」とはどういう意味ですか?
「子持ち様」とは、子育て中の親を指す言葉で、ネット上で使われることが多いスラングです。
この言葉には、否定的なニュアンスが含まれており、子育てをしている人は周りに迷惑をかけても許されると考えている、あるいは特別な扱いを求めている、という批判が込められています。
わざわざ「様」を付けることで、その身分を「ご立派だ」と皮肉っていると考えられます。
「うざい」「滅びねーかな」といった心無い言葉を投げかけらることを、子育て中の親は警戒し、外出を控えようとする人までいるようです。実際には、子育て中の親たちも大変な努力をしており、一概に批判することは適切ではありません。
ただこのような言葉が使われる背景には、「子育て中の親」に対して不満を生む社会でもあるということでしょう。子育てに関する、社会的な理解や支援が不十分であることは、考えてみる必要がありそうです。
「ざまぁ」とつぶやかれるシチュエーション
「ざまぁ」とは、他人の不幸や失敗を見て、内心で喜んでいるときに使う言葉です。
子育て中の親に対して、「子持ち様」という言葉で揶揄したり愚弄したりする中、その「子持ち様」が、周囲から批判を浴びたり、理解を得られなかったりしたときに「ざまぁ」となるのです。
直接、言葉を発する人は少なくても、「子持ち様、ざまぁ」というつぶやきは、SNSなどには散見されます。
例えば、子どもが公共の場で騒いでいるのに親が注意しないときや、優先席に座り続けて周りに迷惑をかけているときなどがありますが、こうした状況で、周囲の人々が不快感を感じ、「子持ち様」に対して反感を抱くことがあります。
また子どもがいるのだから優遇されて当然だと言う感覚を持つ親にも批判の目が集まります。
こんなときに「子持ち様」が批判にさらされたり痛い目にあうと、「子持ち様、ざまぁ」となるのでしょう。
もちろん多くの子育て中の親は周囲に配慮し、「ざまぁ」の対象にならないよう日頃から努めています。ですから、子持ちだと言うだけで「ざまぁ」という思いを向けられるのは、はなはだ腹立たしいことではあるでしょうが、残念なことに、「ざまぁ」と言われても仕方がないほどに身勝手な親がいることも、否めない事実です。
「明日休むんだって」から生じる職場のしわ寄せ
「子持ち様、明日、休むんだって」と言われる職場とは、子育て中の従業員が急に休むことが生じる環境を指します。このような状況は、子どもの病気や学校行事など、予期せぬ事態が発生した際によく見られます。
予期せぬ事態なので理解を示したい一方で、これが実際に起こると、他の従業員にしわ寄せが生じ、職場全体の業務が滞ることがあります。このため、一部の従業員からは「子持ち様が休むせいで大変だ」という不満の声が上がることがあるのです。
また、「子持ち様」が多い職場は、急な欠勤の取得は「言ったもの勝ち」に陥るなど、子育て中の従業員同士にも軋轢が生じます。
解決策としては、柔軟な働き方の導入や、職場内での協力体制の構築などが考えられます。
ただ、このご時世、「余裕をもった人材配置」を行える職場は、いったいどの程度あるのでしょうか。企業間の競争が激化しており、人件費やコスト削減を重視せざるを得ない現実問題とのバランスが、「子持ち様」を取り巻く環境に重くのしかかっています。
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偉そうだ、厚かましい、とされるのはなぜか
「子持ち様」は「偉そうだ」「厚かましい」とも非難されています。その原因は、子どもがいることを理由に特別な配慮を求めたり、周囲に迷惑をかけてもそれを当然と思っているような態度をとる人がいるからです。
例えば、「お子様優先」「お子様連れ無料」といったショップの優遇サービスを、貪るように利用する姿などにも、痛烈な批判が集まります。
また、友人同士の間でも、一方が「子持ち様」の場合、不満が生じることがあります。子育て中の友人の子どもが、勝手に物を持って行った、食べ物をこぼして散らかた、などというとき、「子どもだから仕方ない」という態度をとられて、無神経さに我慢できないと言った不満です。
このような行動は、子ども本人に対する不快感以上に、その親に対する反感です。「子持ち様」という言葉は、親への痛烈な批判なのです。
もちろん、これは一部の事例に過ぎず、むしろ世間の厳しい目に、肩身の狭い思いをしている親も少なくありません。
なぜDINKsを選ぶのか?
DINKs(ディンクス:Double Income, No Kids)とは、「子どもがいない共働き夫婦」のことを指します。
1980年頃からあった言葉ですが、認知が広まったのはここ数年のことで、しかも、今や当時の憧れのニュアンスは薄れてしまっています。
男性一人の収入で家族が暮らせた時代には、妻が働くことで「余裕」が生まれたのでしょう。DINKsという言葉が生まれた1980年ごろは、女性の時代などと言われ、結婚後も仕事を続け、子どもをもたないことは、新しい女性の生き方の象徴のように取り上げられていました。
「女は家庭に入るべき」「妻は夫に養ってもらう」という価値観からの解放を示唆したこの言葉は、女性の憧れでもありました。
当時、DINKsという言葉が用いられる際は、夫婦ともに収入源があって、さらに子供がいないことで、金銭的にも時間的にも余裕のある、豊かで自由なライフスタイルをイメージするものだったのです。
「妻は夫に養われるだけの存在ではない」「家事は男女で分担」「女性も好きな仕事に打ち込んでいい」という、それまでの性的役割分担からの「解放」を象徴していたのです。
現代は、DINKsに憧れのニュアンスはほとんど見当たりません。夫婦で働いて「人並みの生活」を維持するのが精いっぱいだからかもしれません。つまり、現在、DINKsというときは、「子どもを持たない共働き夫婦」そのものなのです。
多くの人がDINKsを選ぶ現代、その理由として挙げられるのは、経済的、時間的な安定の確保です。かつてのようなゆとりや自由を求めた「ダブルインカム・ノーキッズ」ではありません。
二人の暮らしに、子どもは「持つべきか持たざるべきか」「経済的負担になるか」「時間的な負担にならないか」とジャッジされているともいえるでしょう。
子どもを持つと、育児や教育にかかる費用、時間、エネルギーが必要になりますが、DINKsの場合はそのような負担がないため、現代における「人並みの暮らし」が維持しやすいのです。多くの夫婦にとって、今の暮らしを維持していくためには「子どもをもつ余裕がない」という心理が働いています。
そのため「子どもがいる」という「子持ち様」に対して、無意識に「人並みの暮らしより恵まれているから子どもがもてるのだ」「その上に、まだ優遇を求めるとはなんと厚かましいのだろう」という、妬みが生じるのかもしれません。
多くの人が結婚後にDINKsを選ぶ理由はほかにもあり、子育てに関する社会的なプレッシャーや責任から解放されるというメリットを感じるケースも多いでしょう。
「添い遂げる」という結婚観も薄れ、子どもがいないことで得られる身軽さは、いつでもリセットしやすい結婚として、魅力の一つになっているのかもしれません。
しかし、DINKsの選択は、将来的に孤独感を感じるリスクや、高齢期のサポート体制の不足といったデメリットも伴うことを理解することが重要です。それは個人レベルの話だけではなく、社会構造としての不安材料となっているのです。
「子持ち様」を「うざい」「迷惑」とする社会背景
子持ちと関わりたくない社会
「子持ち様、うざい」という言葉が象徴するように、子持ちと関わりたくないと感じる社会の背景には、いくつかの要因が考えられます。
まず、現代社会においては、経済的価値が最重視される傾向があり、そのため、子育てに伴う時間や費用が、キャリアや経済活動の妨げとみなされることがあるということです。
また、都市部では共同体の希薄化が進み、子育てへの理解や協力が得られにくくなっていることも一因です。
さらに、子育て中の親に対する支援が不十分であることも、このような風潮を助長しています。
子どもを生み育てることは、社会全体を考える上で必要不可欠なファクターでしょう。子どもを生まない権利、子どもを持たない自由が、近年注目を集めることが多いのですが、権利と義務、自由と責任は、本来、表裏一体です。
個々人が、社会の中で、自分の人生のバランスをどのようにどうとらえていくのか。多くの若い世代は「生計を立てる」ことに追われ、この問題を先送りしているように思えます。
ただこれは、一個人の問題ではなく、どんな社会環境をつくるかという責任を負った、政治の重要課題でしょう。
少子化対策が軽んじられてきた
少子高齢化が社会的な問題として広く認識され始めたのは、1980年代後半から1990年代初頭です。
この時期、日本の出生率が急激に低下し始め、同時に高齢者の割合が増加し始めたため、少子高齢化が注目されるようになりました。
特に1995年に発表された「エンゼルプラン」をきっかけに、少子化対策が政府の重要な政策課題として位置づけられるようになりました。少子高齢化は、労働力人口の減少や社会保障費の増大など、経済や社会に多大な影響を与えるため、現在も引き続き重要な課題とされています。
しかし少子化問題は「高齢化問題」と比べて軽んじられてきたふしがあります。
若い世代が軽んじられてきた政治の実態
日本の政治において、高齢化対策が優先され、少子化対策が手薄になっているという指摘は、決して珍しいものではありません。
これは、選挙での一票を投じる層に手厚い政策がある一方で、一票を投じない若い世代が軽んじられてきたという現象の表れと言えるでしょう。
もちろん、高齢化対策が優先されてきたのは、日本は世界でも類を見ない速さで高齢化が進んできたことが一番の理由でしょう。これに伴い、年金や医療、介護といった高齢者向けの政策が重要視されるのは自然な流れと言えます。
しかし、その一方で、若い世代への支援がおざなりになってきたツケは、これから更に顕在化していくことが予測されます。
少子化対策として、子育て支援や教育支援、若者の雇用対策などが挙げられますが、これらの施策は十分とは言えません。特に、若者の雇用状況の悪化や非正規雇用の増加、教育費の負担増加など、若い世代が直面する問題は深刻化しています。
この問題を解決するためには、若い世代が積極的に政治に参加することが重要です。そもそも若い世代にとって、参画しにくい選挙や政治の実態を変えるべきでしょう。そのためにも、若い世代は、自分たちの意見を政治家に伝えること、政治活動に参加することなど、さまざまな方法で声を上げる必要があるでしょう。
若い世代が政治に参加しない、あるいは参加できない状況は問題ですが、現状の選挙の仕組みは複雑すぎます。先進国でこのような選挙制度になっている国は、日本以外では見当たらないでしょう。
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選挙の投票率が低いことがしばしば話題になりますが、これは若い世代の政治への関心の低さを示していると言われますが、選挙や政治のしくみが難解すぎることも原因です。
若い世代が政治に参加せず、自分たちの声が政策に反映されにくくなり、結果として自分たちの世代が軽んじられるという悪循環が生まれているのです。
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「子持ち様」を「うざい」「迷惑」とする社会の課題【まとめ】
「子持ち様うざい」と感じる人がいることは、私たちが生きる社会の現状を反映しているかもしれません。子育てに対する理解と支援が不足している現代社会で、子持ちの方々が直面する困難について、もっと広く考えてみる必要があるでしょう。
私たち一人ひとりが子育てに対する理解を深め、子持ちの方々をサポートすることで、より温かく包容力のある社会を築いていけるはずです。
少子化対策を進める政治への期待も含め、一人ひとりができることを考えていきたいものです。
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