⇧ スライドするとカテゴリーがご覧いただけけます ⇧

【リアルな感覚が残る夢】亡くなった人から伝言を託された明晰夢【スピリチュアル体験談】

亡くなった人に
夢でいいから会いたいと
思ったことはありませんか。

 

今日ご紹介するのは、
そんな願いがかなったお話。

 

幼なじみが早逝し
夢で、
伝言を託されたエピソードです。

 

若くして急死した彼女は
私の夢の中に現れ、

光り溢れる世界にいることを
伝えてきました。

 

その夢は、私に
「死を悲しみすぎてはいけない」

と、教えてくれたと思っています。

 

彼女と過ごした
昭和の思い出話に

お付き合いいただけたら嬉しいです。

こんな方にも

  1. 大切な人が亡くなってつらい
  2. 不思議な話に関心がある方に
不思議な夢、明晰夢(めいせきむ)について
夢は、寝ている間に、肉体から離れた魂が、霊的な世界に行って見てくるケースがあると言われています。

夢だとわかってみる夢を「明晰夢(めいせきむ)」といいますが、私が見る不思議な夢は明晰夢であることが少なくありません。夢だとわかっているので、ここぞとばかりに空を飛んだり壁を抜けたり、意識を集中させて、エイッと、一気に違う空間に飛んだりもします。触り心地などもちゃんとあるんですよ。

一方で、自分自身の肉体はそこには無い感じがすることも少なくありません。目、あるいは意識だけで存在している感じです。他の人の存在も、光だけだったこともあります。

幽体離脱というと大げさですが、おそらく似たような仕組みだと思います。肉体はそのままに、霊体だけが別次元の世界に行くのです。

実は、霊界に行く夢はほとんどの人がみているそうで、ただ覚えていないだけだと言われています。

目次はクリックしてご覧下さい。

急死した彼女が夢の中に

同い年の親友が
高校の時に「突然」姿を消しました。

それから数年後、彼女は、
ふらりとふるさとに戻ってきて

あっという間に
夜の繁華街の
人気ナンバーワンになりました。

 

彼女が消えてからおよそ5年間、

お互いに
音信不通となっていましたが、

噂を頼りに
私たちは二十代前半に
一度、再会しました。

 

それから数年を経たある日、

彼女はまた「突然」姿を消しました。

急死したのです。

原因は、心臓発作と聞いています。

 

その後、彼女は、
私の夢に現れて、
伝言を託してきました。

 

また、亡くなったその日、
私は彼女のお店に「呼ばれた」ことを
のちに理解しました。

ドラマのヒロインのような転校生

まずは、彼女の人生を
駆け足で紹介させてください。

彼女は小学生の時、
転校生として現れました。

 

 

誰もが目を奪われるほどの美人で、
まさにドラマにあるような
転校生のヒロインでした。

 

田舎町には不似合いな華やかさで、
学年を超えて
男子生徒から注目を集めたのは
言うまでもありません。

 

一人っ子だったからなのか、
無邪気で陽気に
ふるまっているかと思えば、

にわかにミステリアスな
含み笑いをしたりと、

表情も態度もくるくる変わって、
そこが何より魅力でした。

 

ちょっと危うい雰囲気に、
誰もが関心をもたずにいられない、
目が離せない、
そんな存在だったと思います。

亡くなった当時、夜の蝶、人気ナンバーワン

県外からの転校生として出会って
二十年ほど過ぎた頃になるでしょう。

彼女は急に亡くなりました。

 

地元で
夜の繁華街のナンバーワンと
言われていたときです。

彼女の噂は
あっという間に広がることとなりました。

子どもの時から
人をひきつける魅力に
溢れていた彼女が、

夜の繁華街にデビューすれば
人気がでるのは
当然だったと思います。

 

彼女が急死したことは
今でも覚えている人がいるほどです。

中学生になってから親しい仲に

私たちが親しくなったのは
中学生になってからでした。

 

彼女は、しいて言うなら
北川景子さんのような正統派美人

橋本環奈さんや
綾瀬はるかさんのような
愛らしいタイプではなく

どこから見ても美形という美人でした。

私たちは、
今思えばちょっと怖いくらいの
仲良しでした。

 

休み時間も放課後も一緒。
帰宅したら電話をかけあい
更には毎日交換日記をするという

 

思春期ならではの
濃密な友情だったと思います。

もちろん「可愛い恋バナ」も
毎日のようにしたものです。

 

「私が大人っぽい悪魔だとしたら、
あなたは天使ちゃん、
私は黒が似合うけど、あなたは白」

と、彼女は私のことを
いつも正反対だと言って
面白がっていたのを思い出します。

まあ、今思えば
こんな恥ずかしい表現も
当時の女子中学生ならではですね。

昭和の学級委員は
まじめなタイプが担うことが
多かったと思いますが

私はまさに
それだったのでしょう。

 

彼女は私のことを
田舎の純粋培養タイプとして

 

「あなたのことは、
ゼッタイ私がまもってあげる」

と言って
何かと世話を
焼いてくれたのです。

我が家は貧乏のどん底へ

我が家の、家業が倒産して
連日、地元新聞の一面を
にぎわしたのは、
ちょうどこの頃のことです。

 

昭和の田舎町で
億の負債額を抱えた我が家は

夜となく昼となく
あらゆるトラブルが襲ってきました。

 

先生から一目置かれてた私も
あっという間に転落しました。

何もかも、
すべてがうまくいかなくなったのです。

 

食べる事にも不自由する生活は

学校にも行く勇気がなくなり、
子ども心に描いていた未来の夢は
あっという間に消えてしまいました。

 

そんな私に彼女は
まっすぐ寄り添ってくれたのです。

 

「純粋培養タイプ」だった私は、
彼女から見れば

世間の荒波から
保護すべき対象として
見えていたのかもしれません。

 

彼女の家には、
勉強を一緒にするという口実で
何度も泊りにも行きました。

 

友人宅に泊まるのも
私には初めての出来事でした。

 

当時の私の実家は
高齢者や身障者もいる
大家族でした。

また倒産前は
父の仕事関係者や
お手伝いさんなど

常に家庭の中に
家族以外の人がいました。

 

ですから、私は、
常に監視の目があるような
いわば小さな社会で育ってきたのです。

 

一方、彼女は
一人っ子の母子家庭で、

お母さんが、
夜はお店に出ていたので、
幼い頃からずっと
一人でした。

 

中学生の子供が
一人で夜を過ごせる環境は、

私にとっては新鮮で羨ましくもあり、

どこか不安な好奇心を
掻き立てられるものでもありました。

クローゼットは夢の世界

お泊りすると、
彼女は自分のクローゼットを開けて、
お気に入りの服やアクセサリーを
見せてくれる
のですが、

それは当時の女子中学生にとっては
手を触れることをためらうほど
キラキラと輝いていました。

 

 

半世紀も前の女子中学生といえば、
化粧っ気はもちろんなく、
どこに出かけるにも地味な紺色の制服。

私もそんな一人でした。

ましてや、倒産後、
経済的に困窮していた我が家ですから

彼女のクローゼットは
きらびやかで

異次元の夢の世界に思えたものです。

 

ひろみ(郷ひろみ)のコンサート、
これ着ていくの♪」などと話す
彼女のおしゃれな日常は
私には夢の世界のようでした。

 

ある日、いつものように、

クローゼットから取り出した
新しいよそ行きのワンピースを

私にひらひらと見せながら、

彼女は唐突に

 

「本当は私、
一人っ子じゃないんだ。
きょうだいがいるの」

 

「このワンピースも
向うにいるお父さんが
買ってくれた」

と言いました。

 

私はどんな表情で
どんな言葉を返したかは
思い出せません。

 

多分、彼女も
聴いてもらいたかっただけでしょうし、
私もただ受け止めるのが
精一杯だったのだと思います。

 

その後、
別々の高校に進んでからは、
次第次第に
会えるチャンスが減っていき、

 

そんなある日、
突然、彼女は消えました。

高校も退学となり、
どこか遠くに行ったと、
ふるさとの田舎町では
大変なうわさになりました。

 

本当に美しかった彼女は、
まだ高校生だったとはいえ、
既に多くの大人からも
注目を集める存在に
なっていたのだと思います。

 

背伸びしたい女子高生と
若い女の子を連れていたい大人達。

50年も前にも
そんな構図は
いくらでもあったのでしょう。

「突然」消えた親友を探さなかった理由

その後、4、5年、経った頃でしょうか。

彼女は、すっかり大人になって、
ふらりと地元に戻ってくると、

すぐに夜の歓楽街で働き始め、

あっという間に
人気ナンバーワンに
のぼりつめたと聞いています。

 

私のほうは、
急に音信不通となった彼女を
探すこともないまま高校を卒業し、

その後はふるさとを離れていたので、

彼女が一体どこに消えてしまったのか
なぜ遠くに行ってしまったのか
全く知りませんでした。

 

いいえ、
知らなかったのではありません。

本当は、ショックが過ぎて
探すことができなかったのです。

 

あんなに親しかったはずの彼女が、
ある日突然、消えてしまった。

 

かけがえのない
唯一無二の存在と語り合った
私たちの友情は、
いったい何だったのか、と思うと、

私は彼女に
見捨てられたような気がして
探す勇気がなかったのです。

 

当時、我が家は、
家業倒産から続く
あらゆる不幸の真っただ中で、

私は
世界で一番の無駄が
自分のような気がしていた頃でした。

 

心の拠り所となっていた
親友にまで見捨てられた、
という思いは、
思春期の女の子にとって
心を閉ざすに十分な衝撃だったのでしょう。

 

そしてもう一つ、

逃げるように
故郷から消えてしまった
彼女に
何もしてあげることができなかった
自分の非力さを
直視することはできませんでした。

 

脳も、心も、体も
寒天の中にいるような感じ。

 

鬱を経験したことがある方なら
きっとお分かりになると思いますが
そうやって
現実から離れ
自分を守るようになっていきました。

縁を手繰り寄せて

ふるさとを離れてから、
私は、いわゆる自己肯定感を
少しずつ取り戻していきました。

 

その頃、
彼女が
ふるさとに戻ってきている、


と風の便りで聞いたのです。

 

「戻ってきて、
今じゃ夜の街のナンバーワン」

という噂が定着したころ、
ちょうど私の帰省時に重なり、
その夏、どちらともなく
連絡をとりあって再会しました。

 

ぷつりと切れてしまっていた縁を
お互いに手繰り寄せたのだと思います。

 

彼女が消えてから
5年は経っていたと思います。

再会は、お互いあの日の女子に戻って

再会は、彼女が当時住んでいた
マンションを訪ねました。

 

「突然、姿を消したのはなぜ」
「ふるさとを離れている間はどうしていたの」

この一番肝心なことに
私たちは触れることはできませんでした

 

友情をはぐくんだ時の
女子の会話に戻って
他愛もないおしゃべりに終始したのです。

 

その日は本当に楽しくて

今も変わらぬ友情が
確かにあるような気がしましたが、

 

戻れそうで戻れない、
この隔たりは、
もう解消できないことも
お互いによくわかりました。

思い出にしか接点がない。

私たちの人生は、
もう違う道にあったのです。

 

 

「人が一生かけて経験するような事は、
全部、終わっちゃった。

…普通の人は
経験しないことのほうが多かったかな」

 

彼女は消えていた期間のことは
そんなことをつぶやいただけでした。

急死した彼女が夢に

それからしばらくして、
彼女は亡くなりました。

心臓発作と聞いています。

 

二度、「突然」
彼女を失った私にとって、
この悲しみは
耐えがたいものとなりました。

 

訃報を知って
嘔吐するように声を上げて
泣いたことを思い出します。

 

葬儀も終え、
彼女の死因の噂話も落ち着いたある日、
彼女は私の夢に現れました。

 

「私は、今、
タイシさまのもとで修行をしているから、
心配しなくていいよ」

「お母さんにもそう伝えて」
というものでした。

 

母子家庭だった彼女は
お母さんを一人
残してしまったことを
とても心配していたのでしょう。

 

夢の中は、光り輝く世界でした。

タイシ様って?

「タイシさまのもとで
修行をしているから、
心配しなくていいよ」

といった彼女の夢の伝言は、
お母さんに伝えました。

 

当時は
「タイシさまって何だろう」
お母さんも私も
実はよくわからなかったのです。

 

世代的、環境的には、
タイシといえば、
マグマ大使か、聖徳太子
思いつくくらいですから、
そんなわけないですものね。

 

今は、「弘法大使さま」、
仏教関係のお導きがあったのだと
理解しています。

 

この夢のおかげで、
彼女の死後の様子がわかり
私は救われたように思えます。

亡くなった当日、呼ばれた不思議

実は、彼女が亡くなったその日の夜、

私は彼女のお店とは知らずに、
夜の歓楽街にある
彼女のお店の前に立っていました。

 

前に彼女との再開を果たしたのは
私の帰省時でしたが、

その後、私は
Uターンでふるさとに戻って
仕事をしていました。

 

同じ市内に生活しながら
連絡をとりあう間柄に
戻ることがないまま
また月日が流れていたのです。

 

のちに彼女が亡くなった日だとわかる
その日の夜、

私は仕事の打ち上げがある店を目指して
ふるさとで一番賑やかな
歓楽街に出かけていました。

 

普段立ち寄ることもない街で道に迷い、
地図を確かめようと足を止めたのです。
当時はスマホなどありません。

 

田舎とはいえ
そのあたりは、
色とりどりのお姉さんたちとネオン、
酔った男性の姿でとても賑やかでした。

 

地味な仕事服の私は
明らかに場違いで、

心細い思いで地図を確認し、

何とか目的地の打ち上げ会に
参加することができました。

 

私が地図を見ていた場所、
そこだけお店が閉まっていたので、
立ち止まって地図を見ていられる
空間があったのです。

 

後日、私が地図を見ていたのは、
彼女が亡くなったその日であり、
彼女のお店の前だったことを
理解しました。

 

ああ、呼ばれたのだとわかり
涙が止まりませんでした。

死は、悲しみすぎてはいけない

夢を見たことで理解したことは、
彼女の早すぎる突然の死を、
決して悲しみすぎては
いけないという事です。

 

夢の中で、
「タイシさまのもとで修行をしている」
と伝えてきた彼女は輝いていました。

 

この世では、突然の死であっても、
魂としては救いの道だったのであれば、

悲しむより、むしろ喜んで
あの世に声援を送るべきなのだと
理解しました。

 

 

そしてもう一つは、
彼女が、深い悩みを抱えつつも、
私に何も相談しなかったのは、

 

彼女の優しさとして、
そうしてくれたことが、
理屈抜きにわかったのです。

私のことを守ると言っていた彼女は、

私を巻き込まないためにも
私と距離を置くように
なっていたのだと
なぜかすべて腑に落ちました。

 

ところでこの話を
お伝えしようと思っていたら、

昨日、今日と、二夜連続で、
彼女は何十年ぶりかで
私の夢に出てきました。

 

彼女を失って
三十余年が経とうというのに
夢に出てきたのです。

 

今回は何も伝言はありませんでしたが、
元気そうな様子を
見せてもらったように思います。

 

 

今日は、早逝した友人から、
夢で伝言を託された
エピソードをご紹介しました。

最後までお付き合いくださったこと
心から感謝しています。

 

ときどき見る不思議な夢、
またいずれご紹介させて下さい。

 

この記事は2022年に公開した記事を再編集して掲載しています。

 

\関連記事はこちらです/

関連記事

[adcode]こんな方に 死んだらどうなるのか不安だ お通夜やお葬式は必要なのか疑問だ 墓や仏壇は、無しにしようかと、実は迷っている 人の死にまつわることは、時代の移り変わり[…]

\不思議な体験談はこの下に/

>来世にも、つづく幸せ

来世にも、つづく幸せ

もし「死後の世界」や「来世」があるとしたら…。
「死んだらおしまい」ではない人生を描いてみると
もっと深い、もっと確かな幸せがみつかりそうです。