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どんな人が地獄に行くの?仏教・キリスト教・ダンテなどから、世界の“死後の世界”を探る

「地獄」ってどんな世界?

 

「もし本当にあるとしたら、自分は、堕ちる恐れは無いのだろうか?」と、ちょっと考えてみたいテーマでもあります。

 

それは、地獄という言葉が、ただの恐怖ではなく「私は、大丈夫かしら―――この先、どんなふうに生きていけばよいのだろう…」と、そんな問いかけに聞こえてくるからかもしれません。

 

内容

  1. 仏教・キリスト教・ダンテなど、さまざまに伝わる“地獄”の世界
  2. どんな人が、どんな理由で地獄に行くとされているのか
  3. 地獄に行かないために、私たちが今できることとは?

目次はクリックしてご覧ください。

仏教の地獄:行いや思いがそのまま苦しみに

仏教では、「悪いことをすれば、それに見合った苦しみを受ける」という因果の考え方が、はっきりと説かれています。

 

それは、誰かに裁かれるというよりも、自分の行いがそのまま自分を苦しめるという仕組みとして捉えられているのです。

 

そして仏教では、行動だけでなく、私たちの“考え”そのものもまた、大切に扱われています。

 

 

たとえば、「仏法なんて意味がない」とか、「善も悪も存在しない」といった考え方は、仏教では「邪見(じゃけん)」と呼ばれ、心を深く曇らせるものとされています。

 

 

そのような考えを強く持ち続けたまま人生を終えると、無間地獄に堕ちる原因になると、古くから戒められてきました。

 

地獄とは、どこか遠い場所にある「罰の空間」ではなく、自分の心のあり方がつくり出す「苦しみの世界」なのかもしれません。

地獄の例【仏教】

まずは、仏教から。

地獄にも、いろいろあるとされていますので、その中からいくつかご紹介します。

 

等活地獄(とうかつじごく):人を殺した者同士が殺し合いに巻き込まれ、それを果てしなく繰り返している
黒縄地獄(こくじょうじごく):殺生や盗みを働いた者が、熱した鉄の縄で巻きつけられたり、体を切り裂かれたりして苦しみを味わう(肉体的な痛みが色濃い)
叫喚地獄(きょうかんじごく):暴言、嘘、悪口など、言葉によって他人を傷つけた者が、火の海に落とされたり、鍋で煮られたり、火に焼かれて叫び続ける(精神的な色合いも強い)
無間地獄(むけんじごく):五逆罪(親殺し・仏を侮辱するなど)、極めて重い悪業を犯した者が、休む間もなく苦しみ続ける最下層の世界

地獄は、とても恐ろしい異次元の世界に思えますが、私たちの日常に、どこか通じる気がしませんか。

 

 

怒りにとらわれて、ずっとイライラが止まらなかったり。

嘘をついてしまって、自分を責めて眠れなかったり。

 

実際に行動することには至らなくても、人を憎んだり、恨んだり、強い悪意を抱くことは、心の中では生じているのではないでしょうか。

 

地獄とは、「死んだあとのこと」だけではなく、私たちの内側にも、すでにその種があるという教えなのでしょう。

 

ちなみに仏教では、こうした地獄の苦しみも永遠に続くものではなく、過去の行い(業)を償い終えたとき、やがて抜け出すことができるとされています。

 

この点は、「永遠の地獄」とされるキリスト教との、大きなちがいのひとつです。

 

 

立山には浄土も地獄もある⁈


立山連峰は、古くから信仰の対象でした。

立山には、浄土と地獄の様相を呈する景観があり、実際、「地獄谷(じごくだに)」という場所では、今も険しい岩山から火山ガスが噴き出しています。

立山信仰は、日本古来の神道思想と外来の仏教思想が融合し、神仏習合となって全国に広まったもの。

布教は、浄土と地獄を描いた曼荼羅で、絵解きをしながら行ったとされています。

⇩のサイトで、曼荼羅を使った解説動画もあります。

なお本ブログの筆者、山辺千賀子は、立山博物館の運営委員を長年にわたり務めていました。

キリスト教の地獄:信じること、悔い改めること

一方、キリスト教で語られる地獄は、「永遠の苦しみ」として描かれます。

 

でもその本質は、「神の愛から離れてしまう」ということ。

それはつまり、「愛から離れてしまったとき、人間はどれだけ孤独でつらいか」ということを教えたものなのかもしれません。

 

地獄の例【キリスト教】

たとえば、こんなふうに語られています。

 

火と硫黄の池:神を拒み、偽りに満ちた生き方を続けた者が落ちる場所
外の暗闇での歯ぎしり:神の国の光から締め出され、後悔と孤独の中で生きる魂
虫が尽きず、火が消えない世界:罪の意識にさいなまれ続ける終わりのない苦しみ

 

ただ、キリスト教でははっきりと語られています。

 

悔い改めるなら、誰でも赦される。

それは、どんな過去があっても、今この瞬間から光のほうへ向かっていけるということです。

やはり、地獄の話は、裁きの物語ではなく、愛と赦しの余白が残された希望の物語でもあるのでしょうね。

 

世界に広がる「死後の罰」たち

仏教やキリスト教に限らず、世界中の文化や信仰にも「死後の世界」や「地獄」、「罰」を描いた物語があります。

どれも少しずつちがって、でも不思議と共通点もたくさんあるんです。

ここでは、いくつか印象的なものをご紹介します。

中国:十八層地獄(道教・民間信仰)

嘘つき、不倫、親不孝…罪に応じて18の地獄が用意されている

焼かれたり、凍らされたり、舌を抜かれたりと具体的で生々しいようです。

閻魔大王が裁くという、日本にもなじみ深い考えも含まれています。

イスラム教:ジャハンナム

灼熱や氷、暗闇など、さまざまな罰が層ごとに用意された地獄

偽善や不正を行った者が行くが、悔い改めれば救済の道もあるとされています。

古代エジプト:ドゥアト

死後の世界で「心臓の重さ」を天秤にかけて裁かれる

嘘をついたり、利己的だった者の魂は、怪物に食べられて消滅します。

魂まで消滅してしまうのです。

北欧神話:ヘル

名誉のない死を遂げた者が行く、寒くて静かな死後の国

苦しみよりも、孤独や忘れられることの恐ろしさが漂う世界のようです。

 

どの物語も、「こんなことをすると罰が待っている」と言いたいのではなく、「どう生きたら、心が軽くなるか」を考えさせてくれるもので、今も親しまれているようです。

名誉が、とても重視されていますが、これは他の人への貢献力が問われているように思えます。

ヒーリング癒しの花あじさい

ダンテの『神曲』に描かれた“魂の地獄”

中世イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリが残した長編叙事詩『神曲(Divina Commedia)』。

その第一部「地獄篇(インフェルノ)」では、ダンテ自身が死後の世界を旅し、罪の重さに応じた地獄を見て回ります。

地獄は9つの円(階層)に分かれ、下へ行くほど罪は重く、苦しみも深くなっていきます。

色欲に負けた者たちは、強風にあおられ続ける
欲にまみれた者たちは、泥の中でもがき続ける
嘘をついた者たちは、炎に包まれる
裏切り者は、氷の湖に埋もれて身動きできない

それぞれの罰は、罪の“性質”を象徴していて、読むほどに胸がざわつきます。

でもこの物語の本質は、「地獄の恐ろしさ」ではありません。

むしろダンテは、罪から目をそらさずに見つめることの大切さを、詩のかたちで教えてくれているのです。

ときに目をそむけたくなるような場面もありますが、それは

「あなたは、自分の心の奥にある痛みと向き合えていますか?」

「本当に生きたい方向を、見失っていませんか?」

という問いかけにも聞こえてきます。

『神曲』の地獄は、“裁きの物語”というより、“目覚めの物語”。

たとえ罪があったとしても、それを見つめ、悔い、許されることを自分にゆるすならば——魂はまた、光のほうへ向かうことができる。

そんな希望の余白が、静かに描かれているように思えるのです。

 

ダンテの新曲を読むなら


ギュスターヴ・ドレの挿絵と谷口江里也訳の組み合わせが最適です。

ドレの幻想的な画風は地獄の情景に深みを与え、言葉以上に心に迫ります。

谷口訳は現代の感性に寄り添い、詩的な響きと哲学的な奥行きがあり見事です。

難解な書物をここまで親しみやすく、魂の旅としての『神曲』の本質を丁寧に伝えてくれるものは他に見当たりません。

CHIKAKO
私のお気に入りの一冊です。これに出会えなかったら、ダンテの神曲は、読まなかったかもしれないと思っています。

地獄は、遠くにあるものじゃない

もし地獄というものが、「死んだ後に突然やってくる恐ろしい場所」ではなく、私たちの心の中に、日々、ほんの少しずつ形づくられていくものだったら——

 

誰かを傷つけたとき、自分まで苦しくなったり。

正直でいられなかったとき、どこか後ろめたかったり。

 

そんな経験のひとつひとつが、「小さな地獄への入り口」だったとしたら、

 

地獄を避ける道は、思ったより身近なところにあるのかもしれませんね。

結びに:どんな心で生きていきたいか

地獄を知ることは、自分を責めるためではなく、自分の心と向き合うきっかけになります。

 

怒ってしまうこともある。

人に優しくできない日もある。

 

でも、そんな自分を嫌いすぎずに、「こんなふうに生きたい」と思う気持ちを育てていくこと。

 

それが、どんな地獄よりも強い、私たちの光となるでしょう。

 

 

CHIKAKO
本来、宗教や文化は様々な解釈がある中、本ブログでは簡単な解説となっています。なにとぞご了承ください。