写真の出典元:オードリー・ヘプバーン
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』
オードリー・ヘップバーンは、その美貌だけでなく、慈悲深い性格や名言、そしてユニセフでの活動でも知られています。
なぜこれほどまでに今も人気があるのか、その理由は、彼女が、多くの女性が理想とする女性像を見せてくれるからかもしれません。
この記事では、オードリー・ヘップバーンの名言や、生い立ち、結婚や孫娘などについても触れながら、彼女の性格や、なぜ今も美人と称されるのか、その理由を探っていきます。
記事内容
オードリー・ヘップバーン
- 生い立ち、バレエのこと
- 結婚や孫娘のこと
- 美しさなどに関する名言
- 欠点とコンプレックスについて
- 映画の代表作
- ファッションやユニセフ
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【オードリー・ヘップバーン】性格の背景
写真の出典元:ローマの休日
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戦時下での生い立ちとバレエでの挫折
オードリー・ヘップバーンの性格は、慈悲深く、思いやりがあり、ユーモアに溢れていたと言われています。
彼女の生い立ちは決して平穏なものではなく、第二次世界大戦中のオランダでの困難な戦争体験は、彼女の人生観と性格に大きな影響を与えました。
父親のジョセフはファシズムに傾倒していたと言われ、彼女が幼い頃に家族を捨てて家を出ていきました。それからは、オードリー・ヘップバーンは母親と共にナチス占領下で生活し、食糧不足や病気など数々の苦難に直面しました。こうした経験を通じて、彼女は生き抜くことや助け合うことの、厳しさと大切さを学んだのでしょう。
後に「アンネの日記」や「遠すぎた橋」への出演依頼を断ったのも、彼女の戦争体験と重なる部分があったからです。「私はアンネ・フランクを演じようとは思わない。あの戦争の恐怖の中へ自分を押し戻すことはできない」と語っています。
戦争から受けた心の傷は、スターとしての名声を得た後も癒されることがなく、もしかしたら彼女はその悲しみや苦しみを、弱者に注ぐ愛情へと転化していたのかもしれません。
後にヘプバーンは回顧インタビューで「駅で貨車に詰め込まれて輸送されるユダヤ人たちを何度も目にしました。とくにはっきりと覚えているのが一人の少年です。青白い顔色と透き通るような金髪で、両親と共に駅のプラットフォームに立ち尽くしていました。そして、身の丈にあわない大きすぎるコートを身につけたその少年は列車の中へと呑み込まれていきました。そのときの私は少年を見届けることしか出来ない無力な子供だったのです」と語っている。
出典元:オードリー・ヘプバーン
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また、父親に見捨てられた経験は、彼女の生涯に暗い影を落としました。オードリー・ヘップバーンが、愛への渇望や恐れを抱えていたことは、意外に思う方もいるかもしれません。
戦時中に父親に見捨てられたショックは計り知れず、大人になってからもパートナーとしての男性に対して、どこかで父親の存在を求めていたのかもしれません。また母親のエラも愛情表現が苦手で、オードリーは常に孤独感を抱いていたとされています。
「愛されるために生まれてきた妖精」のようなオードリーが、実は愛に悩んでいたのです。だからこそ、スクリーンで見る彼女には、彼女自身が描いた「愛される女性」としての理想が込められていたのかもしれません。
写真の出典元:麗しのサブリナ
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オードリー・ヘップバーンは幼少期からバレエに情熱を注ぎ、プロのバレリーナを目指していました。しかし、戦争の影響で栄養失調になって成長期に体が作れなかったことや、戦禍を生き延びる中で年齢を重ねたことなどから、バレリーナとしてのキャリアを諦めざるを得なくなったのです。つまり思春期には既に十分すぎるほどの挫折感を味わっていました。
オードリー・ヘップバーンの生い立ちは、彼女がユニセフ親善大使として活動するきっかけとなり、世界中の子どもたちを支援するために尽力する姿勢に繋がっているといえるでしょう。彼女の生き方は、多くの人々に感銘を与え、今なお愛され続けている理由と言えます。
結婚や孫娘
オードリー・ヘップバーンは二度の結婚を経験しました。彼女の最初の夫は、俳優のメル・ファーラーでした。「ローマの休日」で共演したグレゴリー・ペックの紹介だったそうです。
二人は1954年に結婚し、息子のショーン・ヘップバーン・ファーラーをもうけました。しかし、彼女の映画キャリアとファーラーの嫉妬が原因で夫婦関係は徐々に悪化し、1968年に離婚しました。
『戦争と平和』 オードリー・ヘップバーンとメル・ファーラー
写真の出典元:メル・ファーラー
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オードリー・ヘップバーンの孫娘であるエマ・ファーラーは、祖母の遺志を継ぎ、社会貢献活動に積極的に取り組んでいます。彼女は特に、ユニセフや国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の大使として活動し、難民支援に力を入れています。
エマは、祖母オードリーのファッションセンスも受け継いでいると評判です。彼女はインタビューで、「私もタートルネックとブラックのパンツ。もちろんフラットな靴」と語るなど、オードリーの影響を色濃く受けていることが伺えます。
エマ・ファーラーは、オードリー・ヘップバーンとメル・ファーラーの息子であるショーン・ヘップバーン・ファーラーの子どもです。
その後、オードリーはイタリアの精神科医アンドレア・ドッティと1969年に再婚し、息子のルカ・ドッティをもうけました。この結婚は13年間続きましたが、1982年に離婚に至りました。アンドレア・ドッティの200人とも言われる女性関係や、オードリー・ヘップバーン自身の異性関係に原因があったとされています。
写真の出典元:オードリー・ヘプバーン
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オードリー・ヘップバーンの結婚生活や家族のエピソードは、彼女の公私にわたる人生を知る上で貴重な一面を示しています。そして、孫娘のエマが社会貢献活動に尽力していることは、オードリーの優しさと慈愛の精神が次世代にも受け継がれている証しかもしれません。
美しさについて言った綺麗な言葉や名言は?
オードリー・ヘップバーンは美しさについて多くの名言を残していますが、その中でも特に有名なのが、「美しい人は言葉もきれい」という言葉です。彼女は内面から溢れる美しさが本当の魅力であると考えており、その思いが多くの人々に共感を呼んでいます。
また、彼女は「歳を取ると、自分にはふたつの手があるってことが分かるはず。ひとつは自分を助けるため、もうひとつは他人を助けるため」とも述べています。美しさは外見だけでなく、他者への思いやりや奉仕の精神にも関わるものであるという考えが伝わってきます。
これらの名言は、オードリー・ヘップバーンが内面の美しさを大切にしていたことを物語っています。
コンプレックスは?
オードリー・ヘップバーン自身は、自分の見た目に対して様々なコンプレックスを抱いていました。彼女は自分が痩せすぎていること、鼻がまっすぐではないこと、足が大きすぎることを気にしていたと言われています。
「映画の仕事をするなんて思ってなかった、こんな顔だもの」とつぶやいたこともあり、魅力的な瞳についても「メイクさんのおかげだ」と語っていたとも言われています。
キリリとした眉、しっかりしたあご、固く閉じた薄い唇、ショートヘア、そしてスレンダーなボディ。確かに彼女の外見は、それまでの「女性らしい美人」とは一線を画していました。これらの特徴は時に「欠点」と見なされることもあったでしょう。しかし、まさにその「欠点」こそが、彼女の唯一無二の魅力を生み出し、今なお私たちを魅了し続けているのです。
オードリー・ヘップバーンを知る基礎情報
どんな人?何した人?
改めて、オードリー・ヘップバーンの基礎的な情報をご紹介します。彼女は、第二次世界大戦中の苦難を乗り越え、世界的トップ女優としての地位を築き上げた伝説的な女性です。
彼女は映画だけでなく、晩年はユニセフ親善大使としての活動でも知られ、その美しさと慈愛に満ちた人柄で、今も世界中から愛されています。
【女優としての活躍】愛される理由
ここからは、オードリー・ヘップバーンが出演した映画をざっとご紹介します。
世界的人気女優としての地位を確立したきっかけは、1953年公開の映画『ローマの休日』でした。この映画は、劇場よりもテレビの洋画番組でご覧になったのではないでしょうか。
何だって❓ロードショー?
4kレストア版って何❓
これは観ておかなくては(lll⚆ᗜ⚆)#ローマの休日#オードリーヘップバーン pic.twitter.com/FT1FQUTfdF— コハルカフェです (@jam211jam) August 19, 2023
引用元:X
この作品での彼女の演技は世界中の観客を魅了し、アカデミー賞主演女優賞を受賞しました。
もちろん、彼女の人気を決定づけたのは『ローマの休日』だけではありません。
その後も『麗しのサブリナ』(1954年)では、裕福な家族の運転手の娘サブリナ役を演じ、洗練された魅力と感動的な演技で観客を虜にしました。
『戦争と平和』(1956年)では、レオ・トルストイの同名小説を基にした大作で、ナターシャ・ロストワ役を熱演しました。
『パリの恋人』(1957年)は、パリを舞台にしたロマンチックなラブストーリーです。彼女のフレッシュで魅力あふれる演技が光りました。
『ティファニーで朝食を』(1961年)は、ファッショナブルな衣装と独特の魅力で世界中の女性に影響を与えました。これはトルーマン・カポーティの小説を映画化した作品で、ニューヨークの社交界を舞台にしたホリー・ゴライトリー役を演じました。
『マイ・フェア・レディ』(1964年)は、ジョージ・バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」を基にしたミュージカル映画です。イライザ・ドゥーリトル役を演じ、歌とダンスを披露し、その多才な才能を証明しました。
ただ歌の多くは吹き替えられたものです。これにはオードリー・ヘップバーン本人も傷ついていたそうです。
写真の出典元:「オードリー・ヘプバーン」
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オードリー・ヘップバーンの人気は、彼女の外見の美しさだけでなく、彼女の内面から溢れる温かさや優雅さにも由来しているのでしょう。彼女の演じるキャラクターは、観客に感動や希望を与え、時代を超えて愛され続けています。
オードリー・ヘップバーンの性格がわかるエピソード
ファッションのエピソード
オードリー・ヘップバーンのファッションは、彼女の魅力的なルックスと同様に、時代を超えて多くの人々に愛されています。彼女のスタイルはシンプルでありながらもとてもエレガントです。そのどれもが今日でもファッションのお手本とされています。
『ローマの休日』では、オードリーは王女役を演じ、シンプルで上品なドレスやスカートを着用していました。彼女の清楚なスタイルは、多くの女性にとっての憧れの的となりました。
『麗しのサブリナ』では、パリから帰国したサブリナが着用するエレガントなドレスやスーツが話題となりました。
『パリの恋人』では、オードリーはファッションモデル役を演じ、様々なハイファッションが披露されました。
写真はオードリーヘップバーンという名のバラ
『ティファニーで朝食を』では、オードリーのファッションが大きくクローズアップされました。特に有名なのが、映画のオープニングシーンで着用したリトル・ブラックドレスです。大きなサングラスやロンググローブ、真珠のネックレスなどのアクセサリーも、彼女のスタイルを際立たせてました。
『マイ・フェア・レディ』では、オードリーはイライザ・ドゥーリトル役を演じ、劇中で様々な華やかな衣装を着用しました。アスコット競馬場のシーンで着用した白いレースのドレスと帽子は、映画の中でも特に印象的なファッションの一つとして記憶されています。
オードリー・ヘップバーンのファッションは、彼女の美しさと個性を引き立てると同時に、時代を超えたエレガンスを体現しています。彼女のスタイルは、今なお多くのファッショニスタにとっての憧れであり続けています。
愛用しているブランドは?
オードリー・ヘップバーンが愛用していたブランドといえば、ユベール・ド・ジバンシィが代表的です。
彼女とジバンシィの関係は単なるデザイナーと顧客を超え、深い友情に基づいたパートナーシップでした。ジバンシィは、彼女のために多くの映画の衣装やプライベートな装いをデザインし、彼女の魅力を最大限に引き出しました。
写真の出典元:ジバンシィドレス
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また、彼女はサルヴァトーレ・フェラガモの靴や、ラルフ・ローレンのカジュアルウェアも愛用していました。
ユニセフの活動
オードリー・ヘップバーンは、その美しい容姿だけでなく、深い思いやりと人間愛で知られています。
1988年からユニセフ親善大使として活動したことはよく知られていると思います。彼女はエチオピア、ソマリア、バングラデシュ、スーダンなどの紛争地域を訪れ、子どもたちの過酷な状況を世界に訴えました。自身の戦争体験から、子どもたちの苦しみに深く共感したのでしょう。
例えば、1992年にはソマリアを訪れ、飢餓や病気に苦しむ子どもたちの救援活動を行いました。彼女の訪問は国際的なメディアの注目を集め、ユニセフの支援活動への関心と寄付が大幅に増加しました。また、ヘップバーンは度重なる訪問を通じて、ユニセフの活動を支持するメッセージを広め、子どもたちへの継続的な支援を呼びかけました。
オードリー自身が戦時中にユニセフの支援を受けて生き延びた経験があったため、彼女はこの活動に深い共感を寄せたのでしょう。
彼女のユニセフでの活動は、彼女の美しさが単なる外見ではなく、内面から湧き出るものであることを証明しており、彼女の人気をさらに高めることになりました。
晩年と死
オードリー・ヘップバーンの晩年は、家族と共に穏やかに過ごすことを望みながらも、ユニセフ親善大使として活動を続けました。
しかし、1993年1月20日、彼女は腸がんのためスイスの自宅で亡くなりました。彼女の葬儀は、多くの人々によって哀悼の意が表される中、静かに執り行われました。
オードリー・ヘップバーンの遺産は、彼女の映画やファッション、そして彼女の慈悲深い心によって今も世界中で愛され続けています。
【まとめ】美人と称されるオードリー・ヘップバーンについて
オードリー・ヘップバーンの美しさは、彼女の外見だけでなく、その内面にも宿っていました。
彼女の慈愛に満ちた人柄、ユニセフ親善大使としての献身的な活動、そして時代を超えて愛され続けるファッションセンスは、彼女がただの美人ではなく、真の美の象徴であることを証明しているかのようです。
オードリー・ヘップバーンは、その生涯を通じて、美しさとは、外見だけではなく、心の中にもあることを私たちに教えてくれています。
補足
「ローマの休日」が、4月に劇場での限定上映されました。
「日曜洋画劇場」版を再現『ローマの休日 日本公開70周年 4Kレストア 日本語吹替版』上映決定!
2023年夏に公開された『ローマの休日 4Kレストア版』(23)<字幕版>の好評を受け、今回新たに<吹替版>での上映が決定した。今回の吹替版音声は、1979年にテレビ初放送された「日曜洋画劇場」の音声を使用したもの。本作で、ヘプバーン演じたアン王女の声を務めるのは、「銀河鉄道999」メーテル役などで知られる池田昌子。そしてジョー(グレゴリー・ペック)の声を城達也、理容師マリオの声を広川太一郎が担当する。
また、放送時にカットされた約20分の吹替欠落部分を1994年制作のソフト版音声で補完して上映するとのこと。「日曜洋画劇場」版音声はこれまでパッケージソフトや配信でも使用されていない貴重な音源となっている。さらに、本編の前後には<字幕版>と同様、映画評論家、故、淀川長治氏による後説、前説あわせて約3分の解説映像が上映される。
今回解禁された予告映像のナレーションは、池田が新たに2023年に収録したもの。池田は本作の公開に対して「『ローマの休日』が帰ってくる!ヘプバーンの吹き替えをしながら気持ちが高ぶっていたことを思い出しています」とコメント。また、吹替愛好家、漫画家のとり・みきからのコメントも今回到着。とりは「『ローマの休日』はオリジナルも名作中の名作だが、テレビの『洋画劇場』をベースに開始、発展してきた日本の吹替映画にあっても重要なタイトルであり、また人気作である」と今回の吹替版に関しても語っている。さらに「数あるフィックス声優の中でもとくに多くの支持を集めた城達也のグレゴリー・ペックと池田昌子のオードリー・ヘプバーン、はたまたテレビ吹替の自由さを代表する広川太一郎の理髪師マリオをスクリーンで再見できようとは!」と貴重な機会であることに喜びをコメントした。
「日曜洋画劇場」版の吹替音声はスクリーンでどのように蘇るのだろうか?貴重な機会にぜひ本作を劇場で楽しんでほしい。
引用元:Yahoo!ニュース「日曜洋画劇場」版を再現『ローマの休日 日本公開70周年 4Kレストア 日本語吹替版』上映決定!