⇧ スライドするとカテゴリーがご覧いただけけます ⇧

【お迎え現象】あの世からのお迎え【夢のお告げ】「お墓を直して」オーブの写真も【ばあばの体験談】

死が近づくとお迎えが来ると言われています。

脳の反応に過ぎない、せん妄だという意見もありますが、祖父と、父、身近な家族から直接聞いた者としては、やっぱり信じちゃいますね。

祖父と父が亡くなる前のそれぞれの「お迎え」のエピソードをご紹介します。

もう一つ、私が見る不思議な夢の中から、今回は「お墓を直して」と告げられた夢もお伝えします。

ささやかな3本立て、オーブの写真もご覧いただけます

自分がばあばになると、いろいろ思い出すことがあるものです。
お付き合いいただけたら嬉しいです。

目次から、好きなところをクリックしてご覧いただけます。

祖父のお迎え「仏さんがいらしたので遺言したい」

私の祖父は入院先で亡くなりました。
亡くなる数日前に、

「仏さんがいらしたから、遺言したい」

と言って、父を呼び出しました。

当時、祖父は広く事業を手掛けていたこともあり、後継者である長男の父に伝えたいことがいろいろあったのでしょう。

遺言をすませた祖父はそれから数日後、心置きなく旅立っていきました。

その後、数十年の時を経て祖母も亡くなりました。

 

あるとき、祖父と祖母、二人の法事を、一緒に執り行うことになったのですが、その日撮った家族写真には、オーブが映りこんでいました。

オーブは、大きいのと小さいのと二つでしたので、祖父と祖母が二人揃って来ていたのかもしれません。

オーブって拡大すると、まさに曼荼羅そのものなんです。
真ん中に仏さまが座しているかのような形です。

 

父のお迎え「こっちで忙しいから手伝え」と祖父が夢で言いにきた

父が亡くなる前には、今度は祖父が父の夢に出てきて

「こっちで会社を興して忙しい、手伝ってくれ」と言ってきたそうです。

あの世でも、社会があり仕事がある。
あの世でも、祖父と父はまた共に助け合っていく。
そんな「あの世の仕組み」に、その一言で触れたように思えました。

それからすぐにというわけではありませんでしたが、父は、ほどなくして亡くなりました。

たったこれだけのエピソードではあるのですが、身内から聞かされていると、少なくとも死はいたずらに恐れる必要はないように思えます。

祖父は意識がはっきりしている時に、病室の一角を指して「仏さまはあそこにいらっしゃる」とも言っていたので、やはりせん妄とも思えません。

父も、祖父が出てきた夢は「珍しくこんな夢を見た」として話してくれたので、はやり特別感があったのだと思います。

私の夢「墓が傷んでいるから直してほしい」

私はいわゆる霊感は無いのですが、不思議な夢はときどき見るのです。

亡き母がまだ若くて元気だったころのことです。
娘である私は、ある日「お母さんの実家の墓が傷んでいるから直してほしい」という夢を見ました。

私の夢の中でそれを言ったのは誰だったのか、その当時から定かではないのですが、夢の中でお墓参りに行っている私に、墓を示して見せられました。

母に伝えたところ、早速確認して、実際に墓が傷んでいることがわかりました。
母は実家のお墓参りを欠かさなかったので、前から痛みがあったわけではないはずです。

実家に相談してすぐに直せたと言って安堵していました。

  \他にもこんな夢を見ました、クリックしてご覧ください/
【明晰夢】予知夢? 変わるのは日本か、それとも【UFO】

 

昭和は、家庭に信仰が根づいていた

思えば家族は、信仰心が篤かったのでしょう。
毎日、仏壇と神棚に手を合わせる事を欠かしたことは無いと思います。
とりわけ祖父は、自宅の屋上に神社まで設け、そこにも毎日お参りしているほどでした。

祖父は神社にお参りをした後は、屋上で引き続きラジオ体操をするのです。

私が通っていた小学校と私の自宅は、グランドを挟んで真向かいにあり、祖父の様子は離れていてもよく見えるのです。

神社にお参りするときも張り切っていましたし、ラジオ体操をするときは、更に張り切って大きく腕を振り回して体を動かすので、祖父のことは同級生にからかわれ、ずいぶんと恥ずかしかったことを思い出しました。

話しが脱線しましたが、昭和の田舎町では、神仏への信仰心は、当たり前のこととして、多くの家庭に根づいていたのです。
三世代同居も今より多く、同居していない次男、三男の家族も、何かと「本家長男家」に集まるような時代でした。

そんな家庭の中で、年配者の神仏に接する姿を見て、子や孫が育っていたのでしょう。

家族の在り方が変化する中で、家庭の中からも、神仏の存在が遠ざかっていったように思います。
年配者が神仏に手を合わせている姿を、家庭の中でみるという機会は激減したはずです。
まあ、私の実家にはマリア像もありましたので、とにもかくにも「信仰」が人並み以上に身近にあったのかもしれません。

 

「あの世」はあるのか、「神仏」は本当にいらっしゃるのか

「あの世はある」「神仏はいらっしゃる」と信じている者としては、できれば地獄には行きたくない、できれば神仏に後で叱られないようにしたい。

無自覚ながらそう意識して人生を過ごしてきたように思えます。
これは古い世代だからなのでしょうか。

少なくとも私は、ばあばとなった今は特に「あの世」も「神仏」も、信じて生きるほうが、幸せだと感じています。

だって、本当に自分が死んでから「あ、しまった、死後の世界があった」となったら、ヤですもん。
よろしかったら、ばあばのざれ言、またおつきあいくださいね。

 

⇩ こちらもクリックしてご覧ください。

関連記事

人の死にまつわることは、時代の移り変わりとともに形骸化してしまっていることが少なくありません。通夜・葬式・四十九日・墓・祭壇(仏壇など)なぜこれらを大切にしてきたのか、それにはちゃんと理由があります。本来の意義を、スピリチュ[…]