三途の川をみていたとしか思えない、祖母のうわごとです。
ささやかなエピソードですが、筆者が「ああ、本当に川を見ているんだ…」と感じた思い出の一コマです。
祖母の危篤時のうわごと
「三途(さんず)の川」、筆者のささやかなエピソードは、齢九十を過ぎた祖母が、自宅療養中に、あの世に逝きかけたときのことです。
当時、私の息子は幼稚園児だったのですが、祖母は「我が子が生まれ変わってきたようだ」といって、実によく可愛がってくれました。
子だくさんの祖母でしたが、幼くして亡くした子がおり、その子に十分に手を尽くせなかったと、生涯を通して悔やんでいました。
戦前戦中のことですからやむを得ない環境だったのですが、これが親心なのでしょう。
子供にしてやれなかったことを、ひ孫にしてやることで、祖母の心もどこかで救われていたのかもしれません。
祖母はすでに寝たきりの状態が続いており、医者からはいよいよ「いつ旅立つかわからない」と、宣告されてからの話です。
丁度私しかそばにいないときに、祖母の意識が混濁し始め、うわごとが始まりました。
「ああ、どうしょぅか・・・」
「この川、渡ったら、もう帰ってこれんなぁ」
目を閉じたまま、繰り返し言葉を発しました。
川を渡るか渡るまいか、躊躇していることが伝わってくるのです。
(祖母は、気持ちが大きく揺らぐようなときには、出身地、京都のお国なまりがでるのですが、正しい?京都弁表記がわからないのでご容赦ください)
「もう戻ってこれんよになるなぁ」
「あー、どうしよぅ・・・」
目を閉じている祖母が、あの、三途の川を見ているに違いないと思った私は、大急ぎで別室にいた息子を呼んで来て、祖母に声をかけるように言いました。
「おばあちゃん、おばあちゃん、ボクだよ、ボクだよ」
その直後です。
大きな息をついて、祖母の意識が戻ってきました。
ひ孫が呼びかける声で、ひいお祖母ちゃんの意識が戻ってきたのです。
祖母にとっては、幼くして亡くなった「我が子」が、この世から声をかけたようなものだったのでしょうか。
本当に一瞬のことでした。
抜け殻のからだ
祖母が何を見ていたのか、本当は詳しく聞き出したかったのですが、残念ながら危篤状態にあった祖母と会話はもうできませんでした。
祖母の最期の様子を数日にわたって見届けることになった私には、祖母の魂は、あの世とこの世を行ったり来たりしているのではないかと感じました。
肉体は確かにベッドに横たわっているのですが、意識が遠のいたり戻ってきたりの繰り返しで、祖母の魂はそこにはなく、まるで肉体という抜け殻のようになっている状態を何度も見たからです。
その後も、祖母はそんな状態を何度か繰り返しながら、旅立っていきました。
ただこの時、聴いた言葉は忘れられません。
「川」「渡るともう戻ってこれない」
川の向うに行きたい、行ってしまいたい、でも、戻れなくなるからどうしようと迷っていた祖母。
その声からは恐怖は感じられなかったので、祖母が見ていた三途の川は、どちらかといえば穏やかなものだったのだと信じたいと思います。
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