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【義実家に行きたくない⁈】義両親・義家族・親戚との付き合いが人生でプラスに働く理由【帰省】

今回のお悩みはこちらです。

夫の家族が苦手です。仕方が無いとわかっていても、毎度毎度ユーウツです。

「義実家」「義両親」「義家族」という言葉がすっかり定着している昨今、この問題は、一層ドライでシビアになっているように思います。

■「義理の実家への帰省ついて」
1位 楽しみにしている
2位 できれば行きたくない
3位 義務だと思っている
4位 絶対に行きたくない
5位 その他
引用元:ピンズバNEWS
「帰省」が話題になり始めると、その都度、憂鬱になる人も現れます。「義実家に行きたくない」「コロナで会わなくて済んでたのに」という本音も聞こえてきます。
ただ、人生という長いスパンで考えた時、義両親・義家族・親戚とのお付き合いは、幸せのストライクゾーンを広げるチャンスになりますね。

行きたくない義実家で体験すること

集まりたがる義実家や親戚に関わりたくない

義家族や親戚が集まると聞いたら、できれば参加したくないというのが本音の方は少なくないでしょう。

お盆、お正月、ゴールデンウイークなど、そんな時には、家族や親戚が「集まりたがる」ことが多いものです。

でも、「嫁」という立場で、「集まり」に加わるときは、招く側でも招かれる側でも、気が重くなるのです。

義家族・義実家の集まり

 

義母もみんないい人だけど疲れる【ストレス】

義母や義家族がいい人だとわかっていても、疲れるものは疲れますものね。普段とは違う環境や価値観にさらされることでストレスを感じるからです。

何といっても、他のみんなとの共通の思い出が少ないので、みんなが昔話で盛り上がっても、自分だけ疎外感にさらされます。

マイノリティな立場は、多勢に無勢、ホームではなくアウエー。その居心地の悪さを味わうために、わざわざお金と時間を使う必要はないと考えるのも理解できます。

ただ一方で、たまにしか会えない親族や、息子や孫に会いたくて楽しみにしている義両親たちの気持ちもわかるので、罪悪感まで伴ってくるのです。

義両親・義家族・親戚のことは嫌いで当たり前?

義両親や義家族、親戚のことを、好きか嫌いかを問われたなら、「嫌い」とまではいかなくても「好きではない」と感じてしまうのも、心理学的にも説明がつくことです。人間関係において、異なる価値観や生活習慣に触れることで戸惑いや不快感を覚えるのは普通のことです。

食事のしかた、お金の使い方、お土産の趣味、子どものあやしかた、お菓子の与え方、洗面所の様子、布団の臭い、お風呂の順番、などなど、気にし始めると何もかもが気になるのでしょう。そうなると、実際、体調まで悪くなる人もいるようです。

 

義実家に行きたくないと決めつけるのは損

子供の頃を思い出してみる

ご自分の子供の頃を思い出してみてください。おじいちゃんやおばあちゃん、親戚との関係で

「信じられない」
「意味わからない」
「ありえない」
「理不尽だ」

ということ、いっぱいありませんでしたか。

親やきょうだいとの間なら、「イヤだ」と言えば済むことも、おじいちゃんやおばあちゃん、親戚に対しては、反応できなかったのではないでしょうか。

ただじっと我慢した、やり過ごしたという人のほうが多いのではないかと思います。でもその経験が、生きていく上で、意外と力になっているのです。

理解し合えない関係があることを許容する

こういってはなんですが、世の中は、理解し合えない関係はあるのです。むしろそれがほとんどかもしれません。このことをちゃんと実感して成長することは、必ずプラスに働きます。

一言でいえば「柳に風」の強さを得ることができるのです。柳は風で揺れることはあっても、バキッと折れたり、ブチっと切れてしまうことはありません。

風に揺れる柳の枝

どの人間関係も同じです。いろいろな風は勝手に吹きます。いくらそよ風をのぞんでも、相手は勝手に吹き荒れることもあるわけです。そして風が吹く以上、こちらは揺れますし乱されます。

でも、そこで、折れない、切れない!

この強さは、風を受けたことがないと絶対身につかないものです。もちろん時にはバキッと折れたり、ピシーっと切れることもあるでしょう。でも、そこで止まらないでいれば、必ずしなやかさと強さを身につけていくことができるのです。

いつのまにか、いちいち折れない、切れない自分になっていく。
そして、しなやかに風に揺られて身をかわすようになっていきます。

これが他者を許容できる自分、他者と共存できる自分になっていく道なのではないでしょうか。

他者を許容するキャパが広がると幸せになる

分かり合える、分かち合えることはとても素敵なことですが、最初からそういう人だけを求めると。人生という大舞台が、ちっちゃな世界に閉じこもったままになってしまいそう。

「信じられない」
「意味わからない」
「ありえない」
「理不尽だ」

という様々な人間関係を、繰り返し経験することは、他者を許容するキャパと、共存する土台を広げることに直結しているのです。

広がるとどうなるか? 広がると幸せのストライクゾーンも広がります。つまり幸せをたくさん受け入れる態勢が整うことになるのです。

自分の可能性を狭めない

義実家との関わりを「イヤ」と決めつけてしまうと、自分の可能性を狭めてしまうかもしれません。義両親や義家族との関係は、自分のキャパシティを広げる絶好の機会となり得るからです。

理解し合えない関係を受け入れることで、「柳に風」のように柔軟に対応できる強さが身につくと言いましたが、この柔軟さは、他の人間関係で大いに役立つのです。

たとえば自分の人生で、プラスの力を貸してくれるキーパーソンとなる人物は、おそらく自分以上に経験と見識を備えた人でしょう。その人たちは、人の経験値を見抜くのが得意です。重要な人物ほど、他の人のキャパシティを即座に判断できるものです。

そんな人からは確実に、「柳に風」の柔軟な強さを持つ人は、魅力的にうつるでしょう。もちろん多くの人も無意識に「柳に風」の人に魅力を感じますので、結果的に幸せの幅を広げることに繋がっていくのです。

義両親や親戚との付き合いは、「幸せの受け入れ態勢を整える良い練習相手」と考えてみませんか。この練習は一朝一夕ではできませんので、ある程度長期的な関係が必要です。その意味で、やめたいと思ってもなかなかそういうわけに行かない関係は、まさに練習相手にピッタリです。

最初は「信じられない」「意味わからない」と感じることも、繰り返し経験することで、他者を許容するキャパシティがぐっと広がり、他者と共存する土台がしっかりとできていきます。

義家族とは、何をどうすればいいのか

義父母、義きょうだい、親戚とは、まずは型通りのお付き合いを習得することが大切です。

思い出せますか。子供の頃、制服を初めて着た日の「お仕着せ感」。でもそのうち慣れてましたよね。慣れたころには制服が不要になる大人へと成長していきました。

まずは、型通りに対応することは決して無駄にはなりません。

久しぶりに会うのなら、まずはにっこり挨拶し、「元気だった?」と聞かれれば「はい、お陰様で」などと応えます。お土産も用意すると喜ばれるでしょう。

手土産

「私も手伝いましょうか」と言って「あらじゃあお茶出してくれる?」と言われればそうすればよいし、「休んでていいのよ」と言われればそのように過ごせばよいのです。

もし「休んでいいと言ったら本当に座ってる」と不満ビームが飛んでくるようなら「そろそろお手伝いさせてください」と言えばよいでしょう。「休んでていいって言ったから休んでたのに」などと、不満ビームを不満ビームで返すとこじれますよ。

【まとめ】他者を許容できない社会の息苦しさ

家族を大切にするというのは、幸せな人生を築くための土台をつくるということです。

仮に義父母、義きょうだい、親戚とうまくいってなくても「家族を大切にしようとしている」努力こそが、十分、幸せの土台をつくります。

他者を許容できない社会の息苦しさがわかる大人ですもの。我が家のことくらい自分の努力で軽やかに、そうありたいものです。

 

他者を許容するキャパを広げる、
共存する土台を広げる。

すると、幸せのストライクゾーンが広がって
幸せをたくさん受け入れる態勢が整います。

 

\人間関係の記事はこの下に/