私が中学生のとき、家業が倒産しました。
地元紙の一面で、何日も大きく取り上げられるほどの出来事でした。
今日は、その頃、家族に何が起きたのか。
その夏に出会った一匹の子犬の記憶とともに書いてみようと思います。
倒産して間もない頃、まだ小学生だった弟が、捨てられていた子犬を拾ってきました。
一緒に過ごせたのは、ほんの短いあいだです。
それでも何十年経った今も、ふとした瞬間に思い出します。
ふわふわの毛並み。
抱き上げたときの軽さ。
こちらを見上げてくる黒い瞳――。
そして、あの子が消えてしまった日のことを。
- 筆者やまべちかこについて:
人材育成コンサルタント・カウンセラー
職場の課題から家庭の人間関係まで、長年、多くの方の悩みに向き合ってきたシニアです(詳細はクリックで)。 - また、女性ネットワークの設立運営を通じて、立場も年齢も異なる女性たちの声を間近で聞いてきました。
自身の経験としては、経済的に苦しかった時期や、地方での暮らし、ステップファミリーでの家族再構築、認知症介護などを通して、「人生をどう整え直していくか」を考え続けてきました。
本ブログ「シアワセの素」では、心理学を土台にした「心が少し軽くなるヒント」や、筆者の思い出などを綴っています。
ガレージからいなくなった朝
ある朝、目を覚ました私たちは、信じられない光景を目にしました。
ガレージのシャッターに、スプレーで大きな落書きがされていたのです。
「犬なんか飼うな!」
子犬の姿は、どこにもありませんでした。
そして、その日を境に二度と会うことはありませんでした。
誰が、なぜ、あの子を連れていったのかは、わかりません。
悲しかった。
けれど、それ以上に覚えているのは、弟の表情です。
ようやく見つけた心の支えを、一夜にして奪われた弟。
そのショックを目の前にしながら、私には何もできませんでした。
守れなかった。
あの子犬も。
弟も。
そして、自分自身も。
世界が一変した日
倒産の詳しい経緯について、当時の私はよくわかりませんでした。
ただ、傍目には順調に見えていた父の会社が、突然倒産した。
それは、中学生だった私にもはっきりわかりました。
つい先日まで、家には大勢の大人たちが忙しく出入りしていました。
住み込みのお手伝いさんに加えて、通いのお手伝いさんも二人。
それだけの人手が必要な、忙しい家だったのです。
仕立てのいいスーツを着て、運転手さんの車に乗って出かけ、夜遅くに帰ってくる。
倒産前は、父のそんな姿しか見ることはありませんでした。
でも、倒産してから世界はあっという間に変わりました。
連日、人の出入りが慌ただしく続いたかと思うと、ある時を境に、潮が引くように一気に静まり返ったのです。
聞こえないはずの警報音が、大音量で鳴り響いているような毎日でした。
当たり前だった日常が、すっと消えてしまいました。
居場所が急になくなってしまったような感覚だけが、今も残っています。
世界との間に、見えない壁が一枚できてしまったみたいでした。
暑い家の中で
倒産前にはほとんど家にいなかった父の姿を、毎日見かけるようになりました。
家にいる大人たちは、みんな何かに脅されているような顔をしていました。
その頃には、家の空調の主電源も落とされていました。
当時としては珍しいセントラル管理式の空調だったため、主電源を切れば、家じゅうの冷房が止まります。
大きな家全体を冷やし続けるだけの余裕は、もうありませんでした。
夏の家は、うだるように暑かった。
でも、暑さ以上につらかったのは、家の空気でした。
笑い声は消えていました。
当時、我が家は大家族でした。
父のきょうだいも一緒に暮らしていて、その中には、生まれつき体が不自由だった父の妹もいました。
聞こえてくるのは、押し込めきれない怒鳴り声や叫び声、すすり泣く声。
子どもがいられるような場所ではありませんでした。
そんな夏に、弟が子犬を連れて帰ってきたのです。
弟が連れて帰った、小さな命
まだ小学生だった弟が、一匹の子犬を両腕に抱えて帰ってきました。
本当に嬉しそうでした。
けれど、その子はひどく弱っていました。
ふわふわした毛をかき分けると、虫がびっしり。
私はピンセットを持って、一匹ずつ取り除きました。
虫が苦手だなんて言っていられませんでした。
弟のためにも、この子を助けたい。
それだけでした。
家にあるもので食べられそうなものを探し、水を飲ませました。
翌日も、その翌日も世話をしました。
すると子犬は、少しずつ元気になっていきました。
足取りがしっかりして、尻尾を振るようになり、私たちを見つけると駆け寄ってくるようになりました。
まだ家を手放す前でしたから、広い庭とガレージは残っていました。
子犬は、ガランと空いたその場所で暮らすことになりました。
弟は夢中でした。
いつも大切そうに抱きかかえていました。
私も同じです。
抱き上げたときの軽さやぬくもり、こちらを見上げる黒い瞳を、今でも覚えています。
何より、あの子のそばにいると、弟が笑いました。
私も笑いました。
家の中では息が詰まりそうだった私たちが、その時間だけは、ただの子どもに戻れたのです。
「倒産」という言葉から、ほんの少し離れられました。
今思えば、それだけでも大きなことでした。
そして、あの朝が来ました
ある朝、ガレージへ行くと、シャッターの文字が目に飛び込んできました。
スプレーで殴るように書かれた、大きな文字。
「犬なんか飼うな!」
私には、それは、
「お前たちに、幸せな時間など許されない。まだわからないのか!」
そう怒鳴っているように感じられました。
実際に書いた人の気持ちはわかりません。
でも、中学生だった私には、その言葉が全身に突き刺さるようでした。
体の奥までえぐられるような痛みでした。
幼かった私たちも、渦中にいた
倒産で傷ついた人は、大勢いました。
昭和の地方の町のことです。
ご近所にも、従業員さんや取引先の方、そのご家族がたくさんいました。
学校へ行くのが怖い。
人の視線が怖い。
誰も何も言わないのに、どこかで見られているような気がする。
倒産によって、大勢の方に迷惑をかけたことは、子どもの私にもわかっていました。
だから、自分の辛さなど嘆いていられる立場ではないと感じていました。
悪いのは、私たちの側なのだから。
そうして、多くの人を巻き込みながら、私たちの暮らしは大きく崩れていきました。
それからというもの、世間からは、罪人を見るような、責める視線を向けられている気がしました。
やがて、その視線は家族の内側にまで広がっていきました。
お互いがお互いに敵意を向け合っているような、そんな空気に変わっていったのです。
当時の私には、その理屈を飲み込むだけの力がありませんでした。
どこかで仕方ないとはわかっていました。
でも、痛いものは痛い。
理屈でどれだけ理解しようとしても、その痛みが消えるわけではありませんでした。
そして何より、大切な家族、穏やかで仲の良かった家庭が崩れていくのは、言葉にしがたい苦しみでした。
ただ、今ならわかります。
家庭の安心のどれほど多くが、経済的な安定に支えられていたのかということを。
そして、あの頃の私たちきょうだいは、責任を負うにはまだ幼すぎました。
何が起きたのかもよくわからないまま、大人の世界の重さだけを背負っていました。
そして、あの子犬もまた、人間の事情なんて何ひとつ知らないまま、また放り出されてしまったのです。
「倒産」と言えるまで、二十年かかった
長い間、私は「倒産」という言葉を口にできませんでした。
目にするだけで息が詰まりました。
話そうとすると顔がこわばり、喉の奥で言葉が止まりました。
普通に言えるようになるまで、二十年以上かかったと思います。
あれは、オイルショック後の不況が続いていた頃でした。
東京の大学に通っていた兄も、突然呼び戻されました。
帰ってきた兄が、呆然としながら、ほんの少し笑ったのを覚えています。
進学前には見たことのない笑い方でした。
今ならよくわかります。
あまりのことに、笑うしかなかったのでしょう。
その後、学年を重ね、高校へ進むにつれて、私には別の苦しさも始まりました。
同級生の持ち物が変わる。
遊び方が変わる。
進路も夢も変わっていく。
私には、その「おつきあい」ができませんでした。
世の中が少しずつ豊かになっていく中で、私たちの暮らしは反対方向へ進んでいました。
しかも、それまで裕福だっただけに、落差は大きなものでした。
あとになって、「相対的貧困」という言葉を知りました。
そのとき、あの頃の苦しさには、ちゃんと名前があったのだと思いました。
誰もが同じように貧しいのではなく、周囲の暮らしとの落差の中で、自分だけが世界から締め出されていく、取り残されていく。
そんな貧困です。
苦しかったのは、貧しくなったこと、そのものだけではありませんでした。
お金がなくなることで、お金では買えないものまで失っていくこと。
人とのつきあいも、居場所も、進める未来も。
そういうものが、ひとつずつ狭くなっていきました。
だから今でも、経済的に苦しいという話を聞くと、胸がざわつきます。
特に、子どもたち。
数字で語られる、その向こうにいる子どものことを、つい考えてしまいます。
その家の中の会話を。
子どもの行き場を。
未来へのあきらめを。
どうしても、そこまで考えてしまいます。
あの頃の自分と重なるからでしょう。
もちろん今は、大人たちが背負っていた苦しさもよくわかります。
従業員さんも、取引先の方も、それぞれのご家族も――どれほど辛かったことでしょう。
想像するだけで、胸が苦しくなります。
あの経験が教えてくれたこと
思春期のこの経験は、良くも悪くも、私の土台になりました。
悪意がなくても、力が及ばなければ、誰かを傷つけてしまうことがある。
ひとつの出来事が、大勢の人の暮らしまで巻き込んでいくことがある。
人は追い詰められると、それまで穏やかだった人の中にも、悪意のようなものがふくらんでいくことがある。
深く傷ついていると、声をあげられなくなることもある――。
どれも、理屈で学んだことではありません。
家族が崩れていく中で、私自身が傷つきながら経験したことでした。
それを頭で理解し、心で受け止めるまでには、長い年月がかかったように思います。
今も、あの子を思い出す
そして今も、ときどき、あの子犬のことを思い出します。
ふわふわした毛。
抱き上げたときの軽さ。
こちらを見上げる黒い瞳。
あの子がその後どうなったのかは、わかりません。
ただ、家から笑い声が消えていたあの夏に、弟と私を笑わせてくれた小さな命がいた。
一緒に過ごした時間はほんのわずかでしたが、与えてくれたものは大きかったのです。
だからきっと今ごろは、天国でしあわせに過ごしているに違いありません。
そう願うことで、少しだけ、救われる気がしています。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
倒産後の暮らしは、さらに大きく変わっていきました。
その後の困窮や、そこから訪れた転機についても、このブログやnoteの中で、少しずつ書いていこうと思っています。
noteでは、同じ夏の出来事を、母の姿を通して、別のエッセイとして近いうちにご紹介したいと思います。
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