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人生の終わりが見えてきたとき、静かに目覚める真実の感覚

忙しく過ぎていく毎日のなかで、ふと、何も手につかなくなる瞬間があります。

 

誰かの死に触れたとき。

あるいは自分の体調や年齢に、これまでとは違う変化を感じたとき。

 

「人生の終わり」という言葉が、遠い未来ではなく、すぐそばにあるような気がして、——その場に立ち尽くしてしまうこともあるでしょう。

 

でも、そんなときこそ、静かに思い出してみたいのです。

 

確かに、私たちの命は“限られた時間”です。

けれど、その本質は、肉体の終わりを超える存在だということを。

 

それは“魂”としての自分が静かに目覚める時かもしれません。

 

人生の終わりを感じるとき、見えてくるもの

人生には、先が見えなくなるような日があります。

思うように進めず、自信も揺らいで、「もう疲れたな」と感じることもあるでしょう。

 

そんなとき、心理学では「レジリエンス(回復力)」という考え方があります。

 

人は傷つき、倒れたあとでも、必ず少しずつ立ち直る力を持っている——

それがすぐに発揮されなくても、時間がかかっても、その力はたしかに、心の奥に息づいているのです。

 

けれど、人生のやり直しがきかない年齢になっていたり、改善しようのない大病や障がいを抱えている場合などは、こう感じている人もいるでしょう。

——今さら立ち直るなんて、できない——

 

 

でも、そう思ってしまうのは、きっと「肉体の終わり=人生の終わり」と、どこかで結びつけているからなのかもしれません。

 

でも、スピリチュアルな視点から見れば、肉体の終わりさえも超えて続いていく存在こそが、私たちなのです。

肉体の終わりの、その先に、続く人生——

 

——魂には、いつでも、何度でも立ち直る力がある——

 

だから「人生の終わり」とは、終焉ではなく、何か新しいものが静かに始まる“入口”のようなものなのです。

 

誰もがいつか迎える、”そのとき”を考えてしまうのは、私たちが魂としての本質を思い出すための、小さな呼びかけなのかもしれません。

 


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【人生の終わり】を通して、魂の記憶が動き出す

「死」は終わりではなく、魂が本来の場所へ帰っていくプロセスだと、どこかで感じている人は少なくないでしょう。

 

スピリチュアルな世界では、私たちはこの世に“学び”を体験しに来ていると考えられています。

 

感情の揺れ、別れ、挫折、孤独。

そして、肉体の苦しみ、経済的な困窮、人間関係のもつれ……。

 

窓から見える庭・雨

 

一見すると消してしまいたい出来事も、魂にとっては、かけがえのない大切な体験として、いつか価値ある記憶”へと変わっていくのです。

 

「でも、現実には、私の人生、うつろなだけ、何も成し遂げてない、私に存在価値などない」

 

——そう思う日があっても、いいのではないでしょうか。

 

人生の終わりを考えてしまう心境なら、高揚感が湧かなくて当然です。

むしろ、後悔や無力感に飲み込まれそうになっているほうが、自然なのかもしれません。

 

そんなときは、風を感じてみませんか。

 

 

頬をやさしくなでる風、差し込む朝の光、ほのかに漂うコーヒーの香り——

それらは、目には見えなくても、「確かにここにある」と感じられる存在。

 

魂も、きっと同じです。

私たちの内側で、静かに、でも確実に息づいている存在。

 

日常のなかで、そんな“見えない確かさ”にふれたとき。

それは、私たちの中で、魂の記憶がそっと目を覚ましている瞬間なのではないでしょうか。

 

 

人生の終わりは、再会のはじまりかもしれない

誰かの死に向き合ったとき、「あの人に、もう一度会いたい」と思ったこと、ありませんか。

 

その想いは、ただの悲しみではなく、「またきっと会える」という、心の深いところに灯る希望でもあるのかもしれません。

 

可能性があるから、期待するのでしょう。

 

私たちが大切に抱いている“思い出”は、魂の記憶とつながっています。

その記憶がある限り、愛した人との絆は、目に見えなくても消えることはないのです。

 

 

もしかしたら、「人生の終わり」とは、魂の世界における“再会のはじまり”。

そう思えることが、私たちの歩みを静かに支えてくれるのではないでしょうか。

 

目には見えないけれど、確かに感じられるもの。

そういう存在が、私たちの心の奥に、やさしく生き続けているのです。

 


ただし、命を粗末にすることは、魂の本質から外れてしまう行為です。

これを間違えてしまうと、肉体の苦しみを超える、魂の苦しみに見舞われることになってしまいます。

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そして、私たちは今を生きている

たとえ今、「やる気が出ない」「何もできていない」と感じていても、それは「終わり」ではなく、「少し休んでいるだけ」、そう考えてみませんか。

 

焦って何かをしようとしなくても大丈夫。

立ち止まったままでも、私たちはちゃんと、魂の旅を続けています。

 

人生の終わりは、たしかに誰にでも訪れるものです。

けれど、それはすべてを閉じる合図ではなく、新しい扉が静かに開く、はじまりのときでもあるのです。

 

魂の未来は、どこまでも広がっています。

 

 

今がどんな状態であっても、その未来は閉ざされてなんかいません。

私たちは、想像を超える広がりのなかに生きているのです。

 

だから、どうか自分を責めないで。

 

人生の終わりを想うときほど、自分の魂にやさしくなってみませんか。

その視点は、きっと、今を生きる力に変わっていくはずです。

 


 

【山辺千賀子/やまべちかこ】のポスト

/ポストは⇧からもご覧いただけます\

 

あなたに優しい光が届くことを願っています。

 

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