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正義感が強い人の特徴と落とし穴|怒りやストレスに疲れたときの心の整え方

今回のご質問はこちらです。

間違いを正すことは大切なことのはず。

誰かがしないといけないことだから、あえて自分がしているつもりです。

でも、なぜか私が損をしたり、嫌な気持ちになることが多くて……。

正しいことをしているのに、いつも報われない気がしています。

 

――そんな思いを抱えている方、意外と多いのではないでしょうか。

正義感が強く、まっすぐな人ほど、職場でも社会のことでも、不正や未熟さに心が痛んでいるはずです。

 

けれどその「正しさ」が、いつの間にか「怒り」にすり替わってしまうこともあるんですよね。

この記事では、正義感溢れる誠実な心を守りながら、怒りに飲み込まれない方法を考えていきます。

 

記事内容

  1. 正義感が強い人の特徴と心理的な落とし穴
  2. 怒りやストレスを癒す心の整え方

 

筆者プロフィール

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正義感が強い人の心理と特徴

正義感が強い人は、誠実で責任感があり、人のために動けるタイプです。

「間違っていることを見過ごせない」という思いは、人としてとても大切なことですよね。

 

けれど、心理学的には、こうした人ほど「他者の思惑」や「理想とのギャップ」に敏感で、自分の中の“正しさの基準”が高すぎる傾向があるといわれています。

 

ですから、他人の不誠実や不正に触れると、まるで自分が裏切られたような痛みを感じてしまうのです。

なぜ正義感が強い人は疲れてしまうのか|怒りやストレスが溜まりやすい人の共通点

正義感の強い人は、常に「こうあるべき」という理想をもっています。

もちろんそれは素晴らしいことですが、同時に「理想と現実の差」によって心がすり減りやすいのです。

 

たとえば、努力しても報われない職場の理不尽さ。

約束を守らない人を見たときの失望感。

ずる賢い人が得をする社会への怒り。

 

「どうしてこれを正そうとしないの?」という思い。

 

そうした場面が重なると、やがて“怒りや正義感”が“疲れや諦め”に変わってしまうのです。

正義感が強い人が「悪に染まる」とき

正義感の強さは、人を守るやさしさや勇気の証です。

「間違っていることを見過ごせない」という気持ちは、まぶしいほど輝く光です。

 

でも――光が強ければ、影もまた濃くなるものです。

 

悪に染まるヒーローのように

正義感の強さは、悪と戦うヒーローの姿にも重なります。

ただ、戦いの中で悪の手口を知り尽くすうちに、いつしか自分も闇の側に引きずられてしまうことがあるんです。

 

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心理学でも、人は環境の影響を受けやすいとされています。

 

悪意ばかりに目を向けていると、その波長に同調してしまう――そんなこと、あるかもしれません。

気づけば、自分も「悪を正す人」から「悪に似た人」へ。

正義感の強い人ほど、その危うさを敏感にキャッチできるよう備えておきたいものですね。

 

YURI
反社を取り締まる側の関係者に、反社よりコワモテの人がいるって聞いたことがあります。
CHIKAKO
正義と悪の最前線では、いろいろなことが起きるのかもしれませんね。

心を曇らせるもうひとつの影「慢心」

正義感の落とし穴は、悪に染まることだけではありません。

 

「自分こそが正しい」と思いこむ“慢心”も、心を曇らせる原因になります。

この慢心、自分で気づくのはなかなか難しいものです。

 

気づけば、人を見下したり、正論で相手を追い詰めていたり……。

きっと誰の心にも、少しは住んでいる「小さな王様」なのかもしれません。

 

そこで、美しい心でいるために、こんなご提案です。

 

 

尊敬する存在を心に置くことは、慢心を防ぐおまもりになります。

理想の人、恩師、歴史上の人物――誰でも構いません。

もちろん、神仏を心の中に描いておくことはおすすめです。

 

「もし見られていたら、ちょっと恥ずかしいな」

そう思える存在を心に持っていると、不思議と自分を律する力が働くものです。

 

心理学でも、人は「誰かに見られている」と感じるだけで行動が整うといわれています。

 

心も同じ。

尊敬の対象に見守られていると感じることで、自然と謙虚でいられるのかもしれませんね。

正義感を「光」に変える2つの方法

では改めて、正義感を怒りや苦しみではなく、“光”に変えていくための実践法を、ここでまとめておきます。

1. 悪と向き合う前に、自分の中の「善念」を磨く

怒りのエネルギーは、最初こそ正義の炎のように感じても、いつの間にか、自分の心まで焼いてしまうことがあります。

だからこそ、一度立ち止まってみることが大切ですね。

 

職場や社会、あるいは身近な人間関係で、正義の怒りが湧いてきたら……

そっと静かに席を立ち、新鮮な空気で深呼吸してみる。

ほんの数分でも、呼吸が深くなると、心の中の「善念」がたちまち戻ってきます。

 

誰かを正す前に、自分の中の優しさを整える。

それができたとき、同じ出来事がまるで違って見えるはず。

 

ときには、「まぁ、悪を正すのは、今日はこれで十分」と、肩の力を抜いてあげるのもよさそうです。

2. 尊敬の対象をもって、心を見つめ直す

慢心というのは、心のほこりのようなもの。

気づかないうちに積もって、視界を曇らせてしまうんです。

 

そうならないために、ときどき心の“風通し”をしてあげませんか。

 

私たちには、自分を律してくれる「誰か」が必要です。

尊敬する存在を心に置くことは、慢心を防ぐおまもりになります。

理想の人、恩師、歴史上の人物――誰でも構いません。

もちろん、神仏を心の中に描いておくことはおすすめです。

 

「あの方なら、どうするかな?」

そう思うだけで、心の姿勢がすっと整うことがわかるでしょう。

 

結びに|正義を怒りではなく優しさとして生きるために

正義感の強い人は、誠実で、やさしい心の持ち主です。

そのまっすぐさは、社会を照らす光そのものでしょう。

 

けれど、その強さが怒りや慢心に傾くと、気づかぬうちに自分の心まで疲れてしまうことがあります。

 

大切なのは、

悪と向き合うなら、自分の内側を「善念」で磨き続けること。
そして、慢心を防ぐために「尊敬の対象」を持ち続けること。

この二つが、正義感と心の美しさを両立させる鍵です。

 

正義感を、怒りではなく優しさへ。

闇を見つめながらも、心の灯を消さずに歩んでいきたいですね。

 

ときには肩の力を抜いて、「まぁ、そういう人もいるよね」って笑えるくらいが、ちょうどいいのかもしれません。

 

今日という一日に、やさしく「心を磨く時間」を持てますように。