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「本当の愛」とはなにか?「愛とは言い切れないもの」との境界線から探ります。

「本当の愛とはなにか?」

恋人、夫婦、親子、職場、友人……私たちは、さまざまな人間関係の中で愛を感じ、また迷い悩んでいます。

 

この愛の本質とは、いったい何なのでしょうか。

 

本記事では、「愛」と、「愛とは言い切れないもの」の境界線を探ることで、より純粋な愛の本質を探っていきます。

 

目次はクリックで開きます。

愛とは何か

「愛」とは、一般的に「かわいがること」「いとおしく思う気持ち」とされています。

 

よく「愛は与え切るもの」だと言われますね。

 

でも、愛には無意識のうちに「与える」こと以外の気持ちが潜んでいることが多いものです。

 

様々なものが混じると、その愛の純度は低くなるのでしょう。

 

ただ、私たちは、それを「愛」だと勘違いしていることが多いのではないでしょうか。

 

女性の後ろ姿

恋人や配偶者への愛

恋愛や結婚でも、「愛とは言い切れない」ものはたくさんあります。

 

特に、「あなたを愛しているのだから、私にも何かお返しをしてほしい」という気持ちが強いなら、それは愛ではなく取引に近いかもしれません。

 

相手が自分に何をしてくれるかばかりを気にし、愛の言葉、行動、お金、時間など、相手からもらうことばかり期待してしまうのです。

 

それは、愛ではなく依存や執着に近い感情です。

 

険悪な雰囲気のカップル

また、相手に強い関心を持つことが愛だと勘違いすることも多いものです。

 

四六時中相手のことを思ったり、相手のことをすべて知り尽くしたい、あるいは逆に自分のことをすべて受け止めてほしいと思うことが、愛だと思うこともあるかもしれません。

 

肉体からくる欲望を愛だと勘違いすることも少なくないでしょう。

 

「色恋沙汰」と言う言葉がある通り、異性相手の執着を消し去るのは難しいものです。

 

ただ、異性相手の情熱は、いのちの大切な原動力とも言えますので、理性を越えて惹きあう関係となるよう、天の摂理が働いていると考えてよいのかもしれません。

 

赤ちゃんと夫婦

つまり、異性との愛は、いかにして本当の愛に高めていけるかが、何よりも大切なことなのでしょう。

 

相手を思う気持ちに、どれほど与え切る愛があるのか。

見返りを求めない気持ちがどれほどあるのか。

 

愛の高みを目指すところに、魂の進化があり、本当の幸せへとつながっていくはずです。

 

子供への愛

例えば、子供を愛するあまり、親が「転ばぬ先の杖」を与えすぎることがあります。

 

進路や友人関係、生活習慣にまで過度に口を出し、「あなたのためを思って」と人生をナビゲートする。

でも、これも愛とは言い切れないでしょう。

 

本当の愛とは、子供が自分で選択し、成長できるようサポートすること。

親が安心し納得するためではないのです。

 

たとえ失敗しても、それを経験として、子供自身が受け入れていくことが、何よりも大切です。

 

親の価値観を押し付けるのではなく、子供自身を信頼し、見守る姿勢こそが本当の「愛」なのです。

 

子供にプレシャーをかける親

仕事や友情での愛

職場でも、一見すると親切な行為が、「愛とは言い切れない」ことがあります。

 

相手によかれと思ってしていることの中に、実は「愛とは言い切れない」ものがよくあるのです。

 

例えば、仕事ができない同僚や後輩に対して、必要以上に手を貸したり、指導をしたりすることがそれにあたるかもしれません。

 

親しい友人の間でも、つい一方的に相手の世話を焼いてしまうとしたら要注意です。

 

部下指導

もしそれが「自分の評価を上げたい」「相手に感謝されたい」「相手より優位に立ちたい」「相手を引き止めたい」という気持ちからくるものであれば、純粋な愛とは言えないかもしれません。

 

それは、相手の成長を阻害する行為でもあるからです。

 

相手に劣等感や無力感を植え付け、結果的に「自分がいないとダメな存在」にしてしまうこともあるでしょう。

 

本当の愛は、相手の能力を信じ、必要なときに適切なサポートをすること。

 

相手の成長を妨げず、自立を促すことが、愛なのです。

本当の愛とはなにか

本当の愛とは何か、それは探究すればするほど奥深いものです。

探究材料として、ここでは、愛に関する世界の名言と、愛されたい症候群についてもご紹介しておきましょう。

「愛とは何か」を名言から探る

「愛されることが幸福だとみんなが思っている。でも、愛することこそ幸福なのだ」
ヘルマン・ヘッセ

愛すること自体が人を満たし、幸福をもたらすという哲学的な考えです。

ヘッセは、高次元の霊格を持つといわれています。

 

愛されるかどうかは、相手次第ですが、愛することは、自分がすぐにもできること。

どんな幸福も、自分で創り出せるというのは、真理の一つなのでしょう。

 

テーブルの上の本

 

「愛とは、相手の自由を尊重すること」
ヴォルテール

愛とは、相手を所有するものではなく、自由を尊重するもの。

でも、現実には嫉妬や執着が生まれやすく、完全に相手を自由にさせることはなかなか難しいものです。

 

「愛すること」と「手放すこと」は相反するように思えますが、本当の愛は相手を縛ることではなく、信頼して見守ることなのでしょう。

 

この格言は、「愛と執着の違い」を深く考えさせてくれます。

 

 

「愛とは与えるもの、見返りを求めないもの」
マザー・テレサ

無償の愛を説くこの言葉は、愛の究極の形を表しています。

 

この言葉を単に「愛は自己犠牲」と捉える解釈は適切ではないでしょう。

 

見返りを一切求めない愛、それは、もしかするとそれは神の領域かもしれません。

 

私たちは、その高みを目指しているのではないでしょうか。

 

教会の内観

 

「愛は盲目」
シェイクスピア

恋に落ちると相手の欠点すら見えなくなり、理想化してしまうことを指す言葉です。

 

でも、盲目的な愛は必ずしも良い結果をもたらすとは限りません。

 

愛が盲目になることで、相手を正しく見ることができなくなり、自己犠牲や依存に陥ることもあります。

 

この言葉は、「真実の愛とは、真実をしっかりと見つめることなのではないか?」という問いを投げかけているように思えます。

 

「愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである」
サン=テグジュペリ

愛とは、相手に執着し合うものではなく、共に未来を見据え、支え合う関係であることを示したこの言葉は、結婚披露宴などでもよく使われますね。

 

多くの人は「愛すること=相手を見つめ続けること」ととらえがちです。

 

では、互いに同じ方向を見つめる愛とは何を意味するのでしょうか?

 

それは 「自分も成長し、相手も成長できる関係」 を築くことなのかもしれません。

 

見つめ合うカップル

 

「愛とは、決して後悔しないこと」
映画『ある愛の詩』より

愛は無条件であり、たとえ苦しみや別れがあっても後悔しないものだ、という考え方です。

 

ラブストーリーにふさわしいロマンティックな言葉です。

 

でも、実際には愛する過程で迷いや後悔を感じることのほうが圧倒的に多いものです。

 

この言葉の、「愛は後悔しない」という意味は、「後悔でとどまらず、そこから教訓を得ること」と捉えると理解が深まるかもしれません。

 

後悔することもすべては貴重な経験です。

 

しかし、後悔を後悔にとどめず、そこから愛の深さや大切さを学ぶことが何よりも大切なことですね。

愛されたい症候群

次に「愛されたい症候群」についてご説明します。

 

「愛されたい」と願う気持ちは、私たちの心のどこかにありますよね。

でも、それが過度になると「愛されたい症候群」となり、相手に愛を求めるばかりの状態になってしまいます。

 

恋人や配偶者との間でも、家族や友人の間でも、こんな傾向があるときは要注意です。

 

相手の気持ちを常に確かめたくなる
相手の行動が常に気になりコントロールしようとする
相手が自分をどう思っているかに過度にこだわる

 

このような状態では、愛するよりも「愛を得る」ことが目的になってしまい、純粋な愛ではなくなってしまいますね。

まとめ:本当の愛とは何か

本当の愛とは、何でしょうか。

考えれば考えるほど奥の深いテーマです。

ただ、見返りを求めず、相手を信頼し、自由を尊重することは、愛の重要な本質の一つでしょう。

 

「愛」と、「愛とは言い切れないもの」の境界線を探ることで、私たちはより純粋な愛の形を掴めるかもしれません。

 

愛はエネルギーであり、魂の原動力です。

愛を実践することで、自分自身も成長し、より豊かな人生を送りたいものです。