最近、何をしていても心が動かない。
楽しいはずのことも、どこか淡々としている。
そんなとき、私たちは「ちょっと疲れているのかな」と思って、
ご褒美のスイーツを味わったり。
お風呂に浸かって深呼吸してみたり。
好きな香りに包まれて、やさしく癒そうとする。
けれど、それでもどこか――
満たされない。
癒しても戻らない「何か」が、ある気がしませんか?
心のエネルギーは、「熱」によってよみがえる
さっそくですが、ある日の私の”反省文”をご紹介します。
Xに投稿したポストです。
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そう! 足りないのは――熱。情熱です。
しなびた青菜は、50℃のお湯洗いで、シャキッとよみがえりますね。ただ潤いを与えるだけじゃ、戻らない。……私も、きっと、それみたいです。 pic.twitter.com/mwGIoq1UiO— 山辺千賀子/やまべちかこ (@white7pearl) June 4, 2025
ただやすらぐだけでは、戻らないとき。
必要なのは、自分の心が点火する「熱」なんですね。
それは、わすれていた夢を思い出したときだったり。
「これ好きかも」と感じる瞬間だったり。
誰にも気づかれない、小さなときめきだったりします。
情熱って、人さまに言えるような大きなものじゃなくてもいいと思いませんか。
ただ、内側にそっと火が灯り、確かに感じる「熱」を感じること、これ、大切ですよね。
では、どうしたらその「熱」を取り戻せるのでしょうか。
情熱がなくなったと感じるのは、心のエネルギーが静かになっているサイン
心理学には、「自己決定理論(Self-Determination Theory)」という考え方があります。
これは、人が心から動き出すには、3つの感覚が必要だというもの。
これがあると、人は自ら「心のエネルギー≒情熱」を生み出せるようになるんです。
早速ご紹介しますね。
これは、「誰かにやらされている」のではなく、「自分の意思で動いている」と思える感覚のこと。
たとえ状況が限定されていても、「この中から自分で選んだ」と感じることができれば、心には自然なエネルギーが湧いてくるんです。
ということで、この3つが満たされているとき、
人は、自らエネルギーを生み出せるようになるのです。
まるで、自分の内側にある発電機が、静かに動き始めるように。
反対に、このどれかが欠けていると、やる気や情熱がわかず、「癒しても足りない」状態になりやすい。
そう考えると、なるほどねって感じがしませんか。
さて、「理屈はわかったけど、現実には何から始めたらいいの?」という場合を、次にご説明します。
自分の情熱に気づくには、「なんとなく嫌だ」を拾い直す
「どうしたら情熱の火が灯るのか」
「自分が何がしたいのかわからない」
と感じるときは、どうしましょう。
そんなときは、無理に“好き”や“やりたい”を探そうとしなくても大丈夫なんです。
それよりも、日々の中でふと心がざわつく瞬間――
「なんとなく、これ嫌だな」と感じた場面に、目を向けてみるのがおすすめです。
たとえば、
そういう小さな「ズレ」は、
「私は本当は、こうしたかったのに」という、
心の奥の願いが形を変えて現れていることがあります。
“やりたいこと”は見えなくても、
“やりたくないこと”は、案外すぐに見つかるもの。
そこに気づくことが、実は自律性の回復の第一歩になるのです。
すると、少しずつ、心の内側には、静かな熱が戻ってくる。
それはまだ小さな灯かもしれませんが、確かに“私自身の火”なのです。
“やりたくなかったこと” を見つけたら、【①私の気持ち:本当はどうしたかったのか】を考える
”本当はどうしたかったのか” がわかれば、次は、【②:実現手段:それを実現するためにどうしたらいいのか】と、考えていくのです。
たとえば、こんなふうに。
【①私の気持ち:自分の時間をつくりたい】
【②:実現手段:私の家事負担を減らそう!】家族の洗濯物はたたまずに、それぞれにそのまま渡そう、散らかったって知らんぷりしよう。
【①私の気持ち:気乗りしないときは断りたい】
【②:実現手段:これからは言い訳を用意しよう】「ちょっと先約があって、確認してから返事させてね」という言い訳は使えそうだ。
少しずつ、自分の気持ちに正直で、心地よいと思うことを、増やしていけるといいですね。
情熱がなくなったように見える日は、火が眠っているだけ
「最近、やる気がまったく出ない」
「私って、もう何も情熱を持てないのかも」
そう思う日は、きっと誰にでもあります。
でもそれは、
火が完全に消えてしまったのではなく、風待ちのように、深く眠っているだけ。
外からの刺激ではなく、自分の選択で。
自分のリズムで。
ふっと吹きかけるような、やさしい空気で――
すると、その火は、また灯りはじめるのです。