日常の中で、こんな場面、ありませんか?
私たちは「媚びへつらうのは嫌い」と感じながらも、現実の中では、つい“空気を読む”とか“賢く立ち回る”という言葉に、自分を馴染ませてしまうことがあります。
でも、それって「正しい」の?
…ちょっと心が痛むような、でも、正解なんてあるのかどうか…。
ときには、こんな問いかけを自分に投げかけてみるのも、”人生”の奥行きを深めてくれるかもしれません。
では、まずは、なぜ「得」を選んでしまうのか、その理由から探っていきましょう。
媚びへつらうのが嫌いなのに、私たちはなぜ「得」を選んでしまうのか
媚びへつらうのが嫌だと感じるのは、「自分の誇りを手放したくない」と思っている証でしょう。
それなのに、現実の私たちは、損得を天秤にかけてしまう。
とくに、相手が力を持っていたり、自分の立場が弱かったりするとき――。
そんなふうに、つい「損」するリスクを回避して、「得」が感じ取れるほうを選びたくなります。
これは、人間の脳が「報酬」に敏感だからだと、心理学では説明されます。
たとえば「社会的交換理論」では、人は無意識に「見返り」を期待して行動する傾向があるとされているんです。
でも、でも!
それだけでは割り切れないものが、確かに、私たちの中にはある! と感じませんか?
「あがめておけばご利益あるかも」が生む空気
私たちが“媚びる”ように見える行動の奥には、常に「損か得か」という計算があります。
そこには、「本質」よりも「立場」や「イメージ」が優先される空気が流れています。
そうした空気に、私たち自身も染まってしまうことってありますよね。
でも、その時に感じる、心の小さな痛み――。
それは、昔の人がよく言った、「お天道様が見ている」という言葉に通じるものではないでしょうか。
お天道様に恥ずかしくない生き方を、思い出したい
「お天道様が見ている」
それは、損得では測れない「良心」という羅針盤を持ち続けようとする、誓いのような言葉だったのかもしれません。
誰かの顔色をうかがって生きるのではなく、人の評価よりも、自分の心の奥にある“善さ”に従って生きること。
自分で“善い”と思える選択をしたとき、たとえ一時的に損をしたように見えても、意外と、心は静かに落ち着くことが多いものです。
スピリチュアルな視点でいえば、「波動」や「エネルギー」は、自分が何に従って生きているかで変わるといわれていますね。
媚びへつらいのエネルギーは、どこか粘っこく、息苦しく、相手の支配に身を明け渡すような感覚を生みませんか?
けれど、「正しさ」や「愛」に沿って生きているとき、私たちは、スッと、そのままの自分でいられるのです。
そして、そんなエネルギーを日頃から発していると、その波長に合った人やチャンスを、いつのまにか引き寄せていくのではないでしょうか。
善いことを選ぶために、私たちができること
もちろん、毎日の暮らしの中で、常に理想どおりに生きることは難しいものです。
それでも、まずは「自分が何を選んでいるか」に気づくことから始める価値はありそうです。
そんなふうに、気づいた瞬間こそが、私たちの意識が変わりはじめる扉です。
そして、そっと自分に問いかけてみませんか?
自分に正直でいられるほうが、ずっと気持ちがいい
私たちは、もっと自由でいていい。
誰かの評価のために、自分の信念を曲げなくてもいい。
そう思えるようになるには、少し勇気が必要です。
でもきっと、その勇気が、自分を好きでいられる生き方をつくってくれるはず。
善いことや、正しいことを、選んでいく自分。
想像しただけで、かなりいい気分。
今日からは、そんな気持ちを、これまで以上に大切にして進んでいけますように……。
では、最後に、ある日の私のポストで締めくくらせてください。
媚びへつらうのは嫌いなはずなのに――。会社でも、政治でも、地域社会でも、はたまた神社仏閣巡りのときでさえ、似たようなことが起きている気がします。
「あがめておけば得かもしれない」「ご利益にあやかれるなら、まあいいか…」… pic.twitter.com/9qpMkyM18r— 山辺千賀子/やまべちかこ (@white7pearl) May 2, 2025