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【帰省】が脳裏をよぎる季節「義父母・義きょうだい・親戚」苦手問題【幸せの受け入れ態勢整備の実験】

この季節になると考え始める
「帰省」のこと。

すでに憂鬱になっている方、
いらっしゃいませんか。

「コロナで会わなくて済んだのに」
という本音も聞こえてきます。

ただ、義父母や義きょうだい、親戚は、
幸せの受け入れ態勢を整える
よい実験相手になりますよ。

こんな方にも

  1. 苦手な義父母とつきあう意義が感じられない
  2. 今年は帰省から逃れられないと思うと憂鬱だ

目次から、お好きなところをクリックしてご覧いただけます。

おじいちゃんやおばあちゃん、親戚との関係で体験すること

子供の頃を思い出してみてください。

おじいちゃんやおばあちゃん、
親戚との関係で

「信じられない」
「意味わからん」
「ありえない」
「理不尽だ」

ということ、いっぱいありませんでしたか。

 

親やきょうだいとの間なら
怒ったり反撃もしたでしょうが

おじいちゃんやおばあちゃん、
親戚に対しては
反応しなかったのではないでしょうか。

 

ただじっと我慢した、
やり過ごしたということのほうが
多かったように思います。

 

でもその経験が、
生きていく上で、意外と
力になってくるものです。

 

理解し合えない関係があることを許容する

こういってはなんですが
理解し合えない関係はある、

これを実感して成長することは
「柳に風」の強さに
つながっていくからです。

 

柳は風で揺れることはあっても
バキッと折れたり
ブチっと切れてしまうことはありません。

 

どの人間関係も同じです。

いろいろな風は吹きますし
風が吹く以上、こちらは揺れますし。

でも、折れない、切れない!

これが他者を許容できる自分、
他者と共存できる自分になっていく
道なのではないでしょうか。

 

「義父母、義きょうだい、親戚」と、「他の人間関係」との違い

「信じられない」
「意味わからん」
「ありえない」
「理不尽だ」

 

こうしたことが生じたら
普通の人間関係なら
そこでおしまい

 

ところが
義父母、義きょうだい、親戚とは
それでもその関係を
続けていく事ができる。

いえむしろ、
続けていかざるを得ない関係
といったほうが
正直なところですよね。

 

でも継続しないと
できない発見はあるのです。

「あ、悪気で言ってたわけじゃないんだ」
「こういう言い方しかできない人なのね」
「言い返したら結構おとなしく聞いてくれた」

 

仮に発見につながらず、
失点になったとしても大丈夫。

相手にとってもあなたは
「継続せざるを得ない関係」
「嫌われると困る相手」
だからです。

 

義父母、義きょうだい、親戚は

他者を許容し、共存するための
一番の実験相手になるはずです。

ここで得たことは、
他のすべての人間関係に
必ず応用できますので
どうぞ期待して
チャレンジしてみてください。

積極的にアクションを起こす必要はありません。
ただじっとやり過ごすことだけで
他者を許容し、共存するための
十分な実験になります。

 

他者を許容するキャパと、共存する土台が広がると

分かり合える、分かち合えることは
とても素敵なことですが

最初からそういう人だけを求めると
人生という大舞台が
ちっちゃな世界に
閉じこもったままになってしまいます。

 

「信じられない」
「意味わからん」
「ありえない」
「理不尽だ」

という様々なことを
繰り返し経験することは

他者を許容するキャパと
共存する土台を広げることに
直結しています

 

広がるとどうなるか?

広がると
幸せのストライクゾーンも広がります。

つまり幸せを
たくさん受け入れる態勢が整うのです。

 

帰省時は、何をどうすればいいのか

義父母、義きょうだい、親戚とは
型通りのおつきあいで十分。

 

帰省時は、まずはにっこり挨拶し、
「元気だった?」と聞かれれば
「はい、お陰様で」と応えておく。

「お土産どうぞ」と渡して
「あらまあ、ありがとう」と受け取ってもらう。

「私も手伝いましょうか」と言って
「あらじゃあお茶出してくれる?」
と言われればそうするし

「休んでていいのよ」と言われれば
そうして過ごせばいいのです。

 

思い出せますか。
子供の頃、
制服を初めて着た日の「お仕着せ感」
でもそのうち慣れてましたよね。

慣れたころには制服が不要になる
大人へと成長していきました。

 

まずは、型通りに、
自分を合わせてみることは
決して無駄にはなりません。

他者を許容できない社会の息苦しさ

家族を大切にするというのは
幸せな人生を築くための
土台をつくるということです。

 

仮に義父母、義きょうだい、親戚と
うまくいってなくても

「家族を大切にしようとしている」
努力こそが
十分、幸せの土台をつくります。

 

他者を許容できない社会の
息苦しさがわかる大人ですもの。

 

我が家のことくらい
自分の努力で軽やかに、
そうありたいものです。

 

他者を許容するキャパを広げる、
共存する土台を広げる。

すると、幸せのストライクゾーンが広がって
幸せをたくさん受け入れる態勢が整います。

 

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