【思い出】ハンデがあるということ|障がい者・認知症・病人・高齢者、合計5人の家族との暮らしをふり返って

ハンデを持つ家族、合計5人

ハンデをもっていたのは、
実家のほうが
父、母、祖母、叔母の4人。

義母も最後は認知症でしたので、

 

私は、合計5人の
障がい者・認知症・病人・高齢者の家族と
暮らしを共にしました。

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一人で同時にいくつものハンデが重なっていた家族もいます。早くから認知症を患った、人工肛門になった、入退院を繰り返した、など状態はそれぞれです。施設や病院で過ごしたケースもあります。私の関与の度合いも、症状によって、あるいは状況によって常に変化していました。

 

生まれつき足が不自由だった叔母は、
生涯のほとんどを生家で過ごしました。

叔母以外は、もともとは健常者です。

ハンデの度合いや期間もそれぞれ違います。
心身の障害、脳の障害、いろいろです。

5人は、歳を重ねる中で、全員認知症となり、
今ではみんなあの世に旅立っています。

ハンデを持つ家族がいると

ハンデを持つ家族が一人でもいると
家族全員に余裕が無いので、

誰かの状態が悪化したり
ハンデを持つ家族の人数が増えたり
それぞれの老化が進んだりすると

 

お互いが

不平不満の垂れ流し
ののしり
いじめ
罵声
無視
八つ当たり

こんなことが毎日のように起きてきます。

 

弱者が強者を支配することは
いくらでもありますし、

弱者同士、
より自分が弱者だと主張できる方が
勝ちとなることもよくありました。

ハンデを持つ人も、健常者と同じ

ハンデを持つ人を理想化しているのか
励まそうとしているのか、
わかりませんが

「きっと何か別の能力がある、開花する」
「心は天使」

などと
「マイナスを補うプラスが必ずある」
かのように取り上げられることがあります。

それには違和感を感じます。

 

脳に障害があると
感情のコントロールが難しいですし

そもそも体に不都合があれば
「機嫌が悪い」がデフォルトです。

 

障がい者・認知症・病人・高齢者の、
一人一人をちゃんとみれば

いい人もいれば、イヤな人もいる、
いいところもあれば、イヤなところもある、
いいときもあれば、イヤな時もある、

 

健常者と同じです。

 

「健常者にすらない特別な才能がある」
「精神性がすばらしい」
「ハンデがあるにもかかわらず
ここまで克服している」

など、マスコミで取り上げられる
例外的な人の様子をみて

本気で美化されるのは
どうかなあと思います。

 

ハンデを持つ人の多くに
そんな素敵な特典はまずありません。

お金も労力も時間もかかる

心身にハンデをもつ家族が一人でもいると、

暮らしを共にする家族にも
不自由なことが生じるのは否めません。

お金も労力も時間もかかるからです。

ですが、ハンデを持つ本人に
暮らしの選択肢はほとんどありません。

ハンデを持つ本人の肩身の狭さ

ハンデを持つ本人は、

経済力が無いことがほとんどですし
自力でできることは限られている、

歳を重ねると
更に失うものが増えていく。

こんなに辛いことはあるでしょうか。

 

認知症が重度であるなど
自分のことが
分からなくなっていない限り

ハンデを持つ本人は、常に、
肩身の狭い思いを
していたと思います。

肩身が狭いのが苦しくて
人に当たったり
自虐したり
沈み込んだり
鬱になったりもしていました。

 

自立する力と自由をもたずに

明るく素直に、
「ありがとう」といえるのは

超がつくような
人格者だけだろうと思います。

家族だから

みんな不器用に
悲しいほどに苦しみあえいで
生き抜いて死んでいきました。

 

今は肉体から離れて
あの世にいるでしょうから
少しは楽になっていることを
願いたいと思います。

 

生き抜いていった姿には
敬意と感謝しかありません。

どんなにいろいろあっても
最後まで
お互いに支え合っていたのも
家族でした。

お互いが
お互いを大切にしたいという思いと
自分も苦しいという現実との
せめぎ合い。

 

すべては思い出となっていくなかで

何が真実だったのか、
本質的なことが
わかってくるように思えます。

 

こうして
家族のことを思い出していると

会いたくて涙が出てきます。

 

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もし「死後の世界」や「来世」があるとしたら…。
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