もう会うことは叶わないけれど、
本当は伝えたい思いがある相手って
いらっしゃいませんか。
それは、お世話になった人、
ときめきを分かち合った人、
大好きだった人
・・・・・「だった」ではなく
会えない今でも
「大好きな人」のはず。
他にも、
チャンスを下さった人、
いつも心をかけてくださった人
歳を重ねると
さまざまな忘れられない方が
いらっしゃるのではないでしょうか。
こんな思いの方にも
- 思い出が切ない
- もう会えないと思うと寂しい
大切な人と面影が重なる「似ている人」
街で見かけた人に
誰かの面影を
重ねているってこと、ありませんか。
大切な人と
どこか「似ている人」
私の場合、
現在の環境では、
思い出の大切な人とは
決して偶然には
出会えるはずがないのです。
中には
もう何十年も会ってない方もいますし
亡くなってしまった方もいます。
ですから、
どんなに面影が似ていても、
絶対にその人ではありません。
そうわかっているのに
「似ている人」を見かけるのです。
皆さまも「似ている人」に
誰か大切な人のことを
重ねて見ていることってないでしょうか。
シニアでふるさとを離れるということ
シニアで関東に転居して
2年半が過ぎました。
あの人に、
会いたいなあ、
と思います。
シニアで
ふるさとを離れるというのは
本当に寂しいことなのですね。
私は、身の回りに
常に病人がいるなど、
忙しすぎる人生を過ごしてしまったので、
人生初で、時間に余裕がある今、
自分の心を観察できるように
なったせいかもしれません。
またシニアになるというのは、
親を始め多くの人を
あの世に見送ってきたと
いうことでもあるでしょう。
今、ようやく
寂しいという気持ちに
向き合えるようになったのだと思います。
あの世も来世も信じている者として【故人に対して】
この通り、自分が
とても寂しがり屋だとわかりましたので
寂しいとき、
故人に対しては、
手を合わせて祈ることにしています。
祈るというより会話でしょうか。
脳内会話にすることもよくあります。
その時、
「お元気ですか」
と語りかけているんですよ。
亡くなった人を相手に
「お元気ですか」
も変ですが・・・。
ただ、
「あの世は、故人が安らかに眠る世界」
だとは、ちっとも思っていないんです。
亡くなった人は、あの世で生きている。
そう思っています。
私のように考えていらっしゃる方、
ホントは多いのではないでしょうか。
死んだらおしまい、
だなんて
信じられませんよね。
あの世があって、
魂が存在していると思うから、
お墓参りにも行くのでしょうし。
私自身は、あの世は、
この世以上に秩序ある社会となっていて、
故人が生活を営んでいると感じています。
身近なエピソード
あの世について
科学的根拠などありませんが
「信じるとしか言いようがない」
というエピソードならあります。
身内のことになりますが
父は亡くなる前に、父の父、
つまり私の祖父が夢に出てきて
「こちらで会社を興して忙しいので手伝え」
と言ってきたそうです。
その祖父は、
亡くなる数日前、父を呼んで
「仏さまがお迎えに来たから」
といって父に遺言を託して逝きました。
祖母も亡くなる前、
三途の川を見て
一度戻ってきてから旅立ちました。
私自身も、
「母方の墓が壊れているから直すように」
という夢をみて、
見に行くと損傷していたこともありました。
こうした身近な出来事からも、私は、
人は死んだ後も魂として
生き続けているとしか思えないのです。
あの世も来世も信じている者として【生きている方に対して】
ご存命の方、
というとなんだか大げさですが
今では会うことが叶わない方に対しても、
会いたくなったら
私は脳内会話をすることにしています。
もう会えないと分かってはいますが
どんなにその人のことを大切に思ってきたか
どれほど感謝しているか
共に過ごした時間がどれほど大切だったか
など
伝えることにしています。
思いはエネルギーとなって、
きっと伝わると信じていますし、
もしそうでなくても、
ご縁のある方には、
きっとまたどこかで、
そうです、死後も、来世も含めて、
またいつかお会いできると
信じているのです。
「来世にも、つづく人生」で、
また新たな素晴らしい時を
過ごさせていただきたいと
そんな願いを込めて、
感謝を伝えることにしています。
あなたに会えて
共に過ごせた日々があったことに
心から感謝しています。
本当にありがとう、と。
自己満足と言われれば
それまでですが
伝えられなかった思いに
申し訳なさや、切なさだけを
抱き続けるより
シアワセな気分でいたほうが
いつかまた会える日が来る!
と思えてきます。